12/28/05
人間の居住区域の拡大によって、元は棲み分けによって共存できたイノシシや鹿、猿などの動物が、山野に追い込まれ、更に追い詰められつつあるのが、棲み分けの身近な例でしょう。
人間と動物とでさえ、なるべく相手の居住域を犯さずに、棲み分けて来たのが、人類或いは諸動物間の知恵でした。
ところで、民族概念、民族国家・或いは民族感情に訴える政治は、近代国家の政権担当者に都合のよい概念であって、私はこれまで、06/10/05「歴史教育のあり方2(ナチスの罪とドイツの罪)」その他あちこちで、疑念を表明して来ました。
(何故か民族感情を煽ると、内政の失敗を覆い隠し易いのです。)
民族などと大げさに言いますが、本来は、違った生活習慣を持つ集団が存在していたくらいが、正しい意味でしょう。
近代になって言う所の異民族と言うのは、生活手段の違う集団・・・ひいては考え方や生活パターンも違う集団を指すことになります。
ところで、本来の異民族とは、生活習慣・・手段の違うものであるとすれば、生活手段の違う集団は、混在しても利害の対立がなかったはずです。
現在でも、酒屋と八百屋、薬局や蕎麦屋、大学の先生が混在しても、競合(商売敵)しないのと同じです。
この考え方は、06/20/05「入植と先住民の関係1」のコラムでも書きましたが、縄文人と弥生人は生活手段が違ったので、住む場所からして違ったのです。
具体的に書きますと、縄文人にとっては、湿地帯はさして価値のない場所として、殆ど生活域でなかったのです。
これに対し後発移住者の弥生人は、湿地帯に価値を置いていたのですから、弥生人は先住民の既得権を侵すことなく、先住民が不要と考えていた土地に住み着いていったので、長い間に亘って利害の対立はなかったでしょう。
勿論海洋民族とも、生活域が全く違いますから、利害の対立はありません。
海彦と山彦の話は、ずっと後代になってから、相互交流が進んできてからの話でしょう。
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