12/27/05

李広利勝利(汗血馬)と李陵悲劇

漂騎将軍霍去病や衛青将軍による匈奴との戦い、或いはジ師将軍李広利の大宛(フェルガナ)遠征の戦功が史記に大きく記録されていますので、つい惑わされます。
漢民族の居住地の拡大が戦闘で決まったのではなく、漢民族がしこしこと灌漑しながら耕地を虫食い的に広げていったことが先にあって、その入り組んで来た領域の確認戦が匈奴との戦いの基本であったと言うべきでしょう。
ただし、李広利の大勝利の場合は、匈奴を背後から挟んで戦うためにその背後の大月氏国に派遣した張騫の情報によって、途中の大宛国に駿馬を産することが分かったので、匈奴と戦うための名馬を求めたのが始まりです。
この使いが殺されてしまったので、その報復を兼ねて、愛妾の弟の李広利をジシ大将軍として派遣したのです。 
タクラマカン砂漠を越えて、タリム盆地の反対側のパミール山地の中のフェルガナ盆地まで至ったもですから、既存の漢民族保護のための戦いではありませんでした。
これなどは近代の資源争奪のための侵略戦争の走りみたいなものです。
彼の大勝利で西域の名馬を入手した漢の武帝が、喜んで詠んだ漢詩が有名ですので、今回のテーマとは、ズレますが紹介しておきましょう。   

西極天馬歌  漢武帝 。
天馬西極より来る
万里を経て有徳に帰す 
霊威を承けて外国を降す 
流沙を渉りて四夷服す

この天馬とはいわゆる汗血馬のことで、武帝の得意の様子たるや目に浮かぶようです。
勿論、この陰で悲劇の将軍も生まれています。
司馬遷が、史記を書く原因になった李陵の失脚がそれです。
当然、史記には、この辺が詳しく書かれています。
この天馬の曲に読み込まれた「流沙を渉りて」の詩想を、それとなく読み込んだ李陵の悲壮な詩があります。
文学的コラムになりますが、これの方が有名ですので、ついでに、紹介しておきましょう 。

別歌  李陵
徑萬里兮度沙漠,
爲君將兮奮匈奴。
路窮絶兮矢刃摧,
士衆滅兮名已堕(原文の『堕』の表記は異なりますが、機種によって表記されないため)。
老母已死,
雖欲報恩將安歸。

捕虜交換の和議が整い、蘇武と共に帰国できることになったものの、「士衆滅して兮名已。(名既におつ・・失墜した)いま更帰れるものか」と言う李陵の悲壮な歌で、文学上とても有名な歌です。
「武帝に辱められた無念の思い・・・武帝に対する無念の思いを直接はかけないものの、「萬里を経て兮沙漠を度り(わたり)」と書き出して、武帝の詩を意識している内心を表しているのです。



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