12/26/05

民族消長2(生活手段相違棲み分け1)

ちなみに歴史家というか物語系では、鉄器民族とか騎馬民族とかを重視しますが、(近年騎馬民族説も大人気でした)私はそうした兵器や戦いに象徴的意味があるのは認めますが、いきなりこうした決戦で民族の消長が決まるのではないと考えているのです。
前回コラムで書いたように、異民族とは、本来生活習慣の違う集団のことであるとすれば、異民族の居住地をいきなり大量に占領して、先住民を追い出しても、そこで自分達の生活習慣を根付かせることは不可能に近いのです。
たとえば、水稲集団が里山で縄文生活をしている集団を追い出しても、そこで稲作をする訳には行かないのです。
いつも書くことですが、土地自体に価値があるのではなく、そこの民族支配に意味があるのですから、戦争の勝敗で、そこの先住民族がいなくなるわけではないのです。
ステップ国家の月氏族が匈奴に追い払われて、西の方ソグドで大月氏国を建国したことがありましたが、遊牧地の取りあいだったことでこそ成り立つ話であって、それでもよそ者の大月氏国は直ぐに崩壊しました。
農耕民族では、支配者が入れ替わったくらいでは、農民までが逃げ出すことはありません。
これは、12/16/05「漢民族の広がり?5・東西移動から南北移動へ3」以下のコラムでも書きました。
特定の民族が、中世のモンゴル軍のようにいきなり遠征軍を起こして征服し、そのまま民族移動して支配者として居着くようなことは考えられません。
モンゴルがこのようなことが出来たのは、遊牧民ないしオアシス国家の征服だったから、その商圏さえ確保出来れば良かったからでしょう。
(それでも直ぐに、世界中のモンゴル帝国は雲散霧消してしまいました。)
モンゴルが、次々に征服に走ったのは、ステップ国家は自給自足できないのが宿命ですが、相手からが交易を拒まれれば、自民族の生存が危うくなるので、戦ってでもこじ開けるしかなかったからでした。
彼(チンギス・ハーン)は、単なる征服欲で征服したのではなく、彼の征服地は、当時の交易ルートの端から端までに過ぎないことがそれを表しているらしいのです。
09/09/05「商業と農業の先後関係6」その他で、商業国家と農耕国家の違いを書いて来ましたが、今その途中ですので、そのうちこの問題に戻る予定です。
商業国家の場合は拠点確保が、最重要課題であることも、11/13/05「冊封支配の知恵の消滅3(農業主体国家の領土欲3)」などで、これまで繰り返し書いて来ました。
オアシス国家支配の場合は、安全な交易・・通商路確保を誰がするかというだけですから、被支配者・・・交易する商人にとっては、交易の安全さえ保障してくれれば支配者が誰であっても、いいのです。



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