12/26/05
天孫降臨神話は、日向の国の高天原に始まり、神武天皇が宮崎港から船出して東征・・熊野に上陸して、そこから山越えして畿内にはいると言う順序です。
これは、大和朝廷が渡来人による王朝であることを隠すために、でっち上げた神話であろうと言うのが、私の想像です。
アフリカら始った人類移動の歴史を見れば、日本列島移住は最後の最後でしょうから、みんな渡来人ばかりですから、本当はどうってことはないのですが、ここで渡来人というのは後から来た集団と言う意味でしょう。
渡来人かどうかを隠そうとするのは、先住民のいる所へ後から来たのが、バレルのが厭なのでしょう。
いつも書くように、稲作民ほどではないにしても、縄文時代人でも日本は古代から遊牧生活ではなく、定住性の集団ですから、いきなりよそ者が来て先住民を追い出すなど不可能な設定です。
先住民を安定的に支配するには、いきなり戦闘用の軍隊が来ただけでは、長期支配ができません。
世界史でも鉄器民族が出現すると新兵器で他を圧倒し、いかにも他を蹴散らしたかのような印象の文章が多いのです。
私の基本的考えは、農耕技術として、青銅器や石器に頼る集団よりも、鉄器を利用できるようになった集団の方が適応力として優勢になっていったので、長い時間を掛けて人口や生活区域が広がっていっただけのことであって、戦争などで、異民族をある日突然に追い散らしたのではないという考えです。
戦争がすべてを決める近代の野蛮な思想を、古代にも及ぼすのは間違いでしょう。
そもそも異民族なる概念自体、古代にはなく、単に生活習慣(結局は生産手段の相違です)の違う集団と言う認識程度だったのではないでしょうか?
また当時の航海術などから見ても、遠くの民族をいきなり征服するような大軍を編成して、宮崎港から熊野までの四国沖合いの外洋航海をするなどの危険な行軍自体考えられない所です。
(もしも豊後水道を北上して瀬戸内を通過する航路だとするならば、当時でも航海は簡単だったでしょうが、そうすると難波に上陸しないで、何故熊野まで行って上陸するの?となります。)
結局は、私の考えるように、列島の真ん中に割り込んできて、長い間に鉄器を多用する効率的な農耕法で、先住民よりも優勢に推移し、支配的地位を確立して行ったに過ぎないとしか考えられないでしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
