12/25/05
鹿島神社、香取神社いずれも軍神として崇敬されて来たのです。
ついでに鹿島神宮のホームページの社伝をそのまま転写しておきましょう。
「 鹿島の宮の創建は初代 神武天皇即位の年とあり、凡そ2660年ほ ど前のことだといわれます。
鹿島の神が神武東征(じんむとうせい)の 折り、「霊剣」霊の剣(ふつのみたまのつ るぎ)により天皇をお助け申し上げた報恩( ほうおん)がその由来とあります。 」
ついでに香取神宮も紹介しておきましょう。
佐原市の観光案内からの転写です。
香取神宮は祭神に経津主命を奉り、創建は神武天皇18年と伝えられています。古来より国家鎮護の神として崇拝され、『神宮』の社号を持つ下総の国一の宮です。現在の社殿は元禄13年(1700)徳川綱吉によって造営されたもので、本殿・楼門は国の重要文化財の指定を受けています。
宝物館には、国宝の海獣葡萄鏡をはじめ多くの文化財がが展示されています
以上のように、実在しなかった?神武天皇に2本の剣(つるぎ)を献上したことになって大事にされているところを見ると、この神話を作り上げた天武朝及びその系譜を引く大和朝廷では、よほど、この地の砂鉄を重視していたのでしょう。
或いは、たまたまこの地を地盤としていた中臣氏が実権を握っていたころに出来上がった神話ですから、東征神話の流れにも結びつかない突然の登場になるのでしょうか?
話を九州人と東国人に戻しますと、今の岡山から畿内に掛けて顔つきから見ても特徴があるのは、この地に後発の渡来人が割り込んで来たせいでしょう。
古代神話或いはその後の政治においても長い間、吉備の国や越の国、あるいは、出雲国が重視されているのは、そのせいでしょう。
ずっと後の院政期すなわち源平争乱期でも、どこの国の守になるかは重要でしたが、播磨の国などは、上国として知られていました。
東海道中心の今では、考えられないことですが、戦国時代までの長い間、北陸路と京の物流確保は生命線と考えられていたのです。
だからこそ、信長も、北陸路と京の流通を押さえるために安土に拠点を築き、他方で邪魔者の比叡山の焼き討ちを強行したのです。
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