12/23/05
ちなみに、日本では女性中心の農作業だったと言うと、男が田で働くから男と言う漢字があるのじゃないかと思う方がいるでしょう。
男とは、田に力と書きますが、中国・・・漢字の出来たころは黄河上流域だけです・・・の「田」とは、日本で言う所の畠であって、これを耕すには、男の力が必要でした。
この畠に必要な僅かな水の灌漑が黄河流域民・・漢民族の特技だったわけです。
水田のように、水を引けば後は自分で流れる仕組みと違って、畠は、水浸しに出来ないので、単に水を引いて流し込むわけには行きません。
田を耕すだけでなく、低い所から水を汲んで来て、畠に撒く作業が必要でしょう。
日本の川と違って西域等の灌漑設備の写真を見ても分るよう、水脈が低いのか、水流と生活空間との高低差が大きいのです。
これに対し、日本では田と言えば水(みず)田をあらわし、水田は新田開発時には男手が必要ですが、出来上がってしまえば、堰の操作さえすれば水は低きに流れるし、田植えに始まり、田の草取りなど女性の仕事の方が多いのです。
それに最初のころは、小さな水流(幅5〜6メートル程度の)を利用した小さな水溜りを田として利用したものでしたから、(だから水(みず)田と言うのです)現在考えるような大規模土木工事を要する新田開発の必要すらなかったのです。
河川の管理、治山治水事業のコラムを、書いている内に話が横道に入ってますが、その話の先取りです。
僅かしかない畠の場合でも、天然の雨水で殆ど用が足りますから、畠のための灌漑設備の必要性など想像もつかないほどです。
彦星と織り姫の伝説でも、河へ水汲みに行く話から始まるのですが、日本でこうした話があまりないのは、川はなだらかな平地を流れているのが普通であって、しかも大川(本流)の周辺には幅数メートル前後の細流が一杯ありますから、その周辺での生活で日々のようが足りていたからです。
またこうしたことから、どこでも簡単に井戸が掘れたので、(水脈が浅いのです)谷間を降りていって水を汲むような仕事はありませんでした。
こうしたことで、昔から男性の労力をあまり必要としていませんでしたから、日本では長年に亘って、実際働き手としての女性の地位が、高かった原因です。
徳川時代以降武家では、女性の地位が低くくなった原因は、収入源がサラリーに頼っていたためであったことは明らかですし、明治以降女性の地位低落が進んだのは、農業の衰退によるサラリーマン社会への転換と無縁ではありません。
こうした関係については、04/05/05「都市労働者の増加と家父長制の矛盾4(厄介の社会化3)女性の地位低下4」のほか夫婦別氏問題などで、既に詳しく書きました。
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