12/23/05

防人東国人東国人九州人融合)

防人に話を戻しますと、実際のところ現地(北九州)では多くの女性が待っていたのですから、赴任すると同時に普通の男は、女性と一緒になって子供をもうけているのが普通です。
妻子を残して飢え死にするような危険をおかしてまで、故郷へ帰る人はマレだったでしょう。
路傍で飢え死にした記事は、税を納めるために都へ言った帰りの事件ばかりで、防人の話がないのはそのせいです。
その結果、東国人と九州北部人との融合が進んだので、今でも関西と関東の結婚ではうまく行かないと言われるのに、関東人と九州人の場合はうまく行く原因になっているとも言われます。
東国の防人だけ最後まで残ったのは、東国の力を弱めるためだと言う意見が多いのですが、私はそんな風には考えていません。
白村江の大敗戦で、ただでさえ、権力機構が弱体化しているときに、そんな無茶を出来るわけがないのです。
それに防人に取られた家では、後にも書きますが、家族根こそぎ移住させられたのではなく、一戸(昔は核家族ではありません)から男子一人引き抜かれるだけで、家族ないし一族がそっくり残っているのです。
そうなれば、養子先が決まっているようなものですから、一人っ子でなく安心して2人〜3人の子供を生めばいいわけですから、20年もすれば男子人口は復活してしまうのです。
東国人のエネルギー剥奪としては、効果的でありませんし、怨念の残るやり方は長期的には、かえってマイナスとなるでしょう。
男日照り解消のために全国から男を集めて、九州へ行かせてみると、九州女性が、東国の男を好み、関西の男を受け入れなかったから、最後まで東国からの移民が続いただけではないでしょうか?
東国男子の人気が高かったのが、東国からの防人が続いた原因です。
珍説かもしれませんが、(いつも私の意見は、専門家ではないので無責任ですから気をつけてください)昔から東国男児はもてたのです。
関西人みたいにしっかりしていないかもしれませんが、毎日一緒に暮らすなら、少し抜けていても野球のミスター長島(千葉県佐倉出身です)みたいな人が、女性に好まれたのでしょう。
日本では、このころから江戸時代までは水田稲作が基本的労働ですから、もともと男は新田開拓時以外には、労働力としては、そんなに期待されていないのです。
その点、第2次世界大戦後、職業の中心が勤労労働者になったのですから、男は、労働力として満遍なく期待されるようになったのですから、多くの男にとっては大変なストレス時代です。
(「男はつらいよ!」という気持ちは本当でしょう)
九州では、男が戦死していなくなっただけで、耕地が余っていたので男を全国から呼び寄せたのですから、開拓・・・新田需要もなかったのです。
子供さえ産めばいいのですから、気立てがいい・気楽な方がもてたでしょう。
「あずま男(おのこ)に京女」
と言う言い回しがありますが、東国の男が持てた歴史は意外に根が深いのです。



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