12/22/05
ところで、元々民事中心の公事ごと(争訟)は、一生ものといわれるほど長かったのですが、これを逆手に取って田舎から出てきて、遊びまわっていた人もいたようです。
(江戸時代の庶民はしたたかでした)
鎌倉時代には、01/23/04「中世から近世へ(国家権力の強化)3」のコラムで紹介しましたが、負けた方は、何回でも訴えが出来たので、裁判は半永久に終わらなかったのです。
争いの中心は家督争いや境界争いですが、郷里や部落の期待を背負って出て来たのですから、負けた場合に国に帰り難いのですから、決着が付かない方がいい面もあったでしょう。
この背景には、モメゴトには、双方それなりの言い分があり、そうは一刀両断に決められるものではないと言うものの考え方があったでしょうし、結果的に「裁判は長いほど良い」と言う傾向になって行ったのでしょう。
江戸時代には、何回でも裁判できる時代にではありませんでしたが、それでも裁判の中心は境界がらみが多いのですから、今のように理屈や書類で簡単に決着する性質の争いが殆どなく、どうしても長引きます。
今でも、日露の北方領土や朝鮮との竹島帰属、中国との尖閣諸島など境界問題となれば、何十年経っても簡単にいかないものです。
どちらかに決着つけば、どちらかの政治家は持たないでしょうから、うやむやにしたまま「意見の相違」を確認して帰ってくるくらいが、互いに幸せな所でしょう。
話しを「弁」に戻しますと、裁判実務では、本人が訴訟手続きを追行するのを例外として、弁護士のついていない事件を区別して「本人訴訟」というのが普通です。
弁明や弁解は本来自分でするものですが、一寸した弁明まで弁護士に頼むのが普通の時代になれば、
「自分で弁解するから・・・」
と、強調する人が出てくるでしょう。
これが、嵩じると自己弁護という時代になるのでしょうか?
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