12/21/05
お上にたて突くために、代言人が発達したのではありません。
生まれて始めて田舎から出てきて、様子の分らない人のため宿屋の主人が何かと経験で教え、他方で役所にとっても、今の司法書士・行政書士や税理士同様に、整理された書類が出てくるので、都合が良いことから始まったものと言えるでしょう。
ただし、こうした書類や手続き、結論に精通してくると、過去のあの事例に比べて今回の手続きや結論がおかしいとかの意見もでてきますので、批判勢力としても育っていきます。
ところでイギリスの法曹養成には、昔は、(私が英米法を習ったころの、ゲルダーツだったかの英法原理か、英法史論だったか本の名前すら思い出せないおぼろげな知識ですから、今は知りません)法律家になるには、必ず、
「・・・インで同宿する経験を経なければならなかった」
「その歴史の結果、少なくとも何回以上は、会食をしなければならなかった」
と言われますが、公事宿から発達した点は、イギリスも同じなのでしょう。
そう言えば、司法修習生になりたてのころは、「検事正との会食」「地裁所長との会食」などなど「・・・・会食会」と言う行事が多かったのですが、その名残だったのでしょう。
まだ修習生がごく少数でしたから、どこへ言っても大事にされる時代でした。
こうした行事は、時代遅れなのか、(最近は忙しすぎてこうした機会は無駄と言う意見と数が多すぎてきめ細かくやってられないということでしょう)いつの間にか廃れてしまいました。
公事宿の亭主が長年「代言行為」を業としてしている内に、法に精通してきたでしょう。
実務に通じれば、批判勢力にもなり、法学者にもなり、立法能力も身につき、弁護的機能も要求されるようになったのは、日本と同じでしょう。
ただ、イギリスでは異民族支配があったので、(ノルマンコンクエラー)民衆側の法に精通したものとして、代言人の地位が上がり、判事までそのグループから供給されるようになっていったのでしょう。
(何と言っても、コンモンロウ・・民衆裁判・・陪審制の国です)
イギリスの弁護士も、公事宿から発達したのかもしれませんが、イギリスでは民衆による裁判の伝統に乗っかって、裁判官の供給源になって行ったのに対し、日本では民衆による裁判の歴史がないのが大違いでした。
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