12/17/05

天武持統朝と律令導入大宝律令養老律令)2

その後本格的な律令は、701年に大宝律令が制定・施行されて、わが国の律令体制は完成するのです。
天智天皇が成立を目指してから約40年近く、隋の開皇律令より約120年遅れですが、法律と言うものは、完成型が他国にあっても、自分の国の国情に合っていないと、そのまま移して来れば出来るものでないことが、この例でも分るでしょう。
大宝律令は12月11日に紹介した唐の高宗のときの永徽律令(えいき・651年制定)を参考に作られたと言われています。
しかし、唐の律令には、日本の社会情勢と適合しない箇所が多かったために、多くの箇所で日本の国情に合わせた改変がされたようです。
大宝律令制定後も、日本の国情に適合させるよう律令の撰修が続けられ、その成果が養老律令としてまとめられ、757年に施行され、これが明治まで残ってきたのです。
そこで、わが国の律令制、官僚制(ニ官8省など)は、この養老律令を基本として、後世考えられるようになっていきます。
私のコラムでも、後に石田光成などの官職を紹介しますが、歴史物語でいろんな官職名が出てきますが、この養老律令を基本としています。(明治の官制参照のコラム)
大宝律令は、日本史上最初の本格的律令法典であり、これにより日本の律令制が確立したといわれます。
大宝律令の施行は、当時としても非常に画期的かつ歴史的な一大事業と受け止められており、律令施行とほぼ同時に、日本という国号と最初の制度的元号(大宝)が、正式に定められたと言われています。
(勿論白村江の戦のころも、日本と称していたとも言われますし、年号も天平などつかわれていたのは当然ですが、法的に決まったのは、このときというわけです。)



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