12/16/05
北で追われて南に逃げて来た漢人は、繰り返し続きますが、人口的にはわずかでしょうから、そのうち南方系生活習慣に同化して行ったのでしょう。
ですから今の秦嶺山脈以南の民族は、基本的には漢人ではないのです。
正確に言えば漢人による異民族の支配地域といえるでしょう。
勿論こんな事を言うのは、私だけですが、自分達を漢民族と思っている中国人が聞いたら気を悪くするかも知れません。
しかし、異民族支配を受けたと喧伝される北部中国人よりも、南に逃れてきた漢人の支配を受けた(例えば南宋)南方民族の方が、違和感があった筈です。
中共軍に追われ、台湾にのがれた国民党政権の軍人に支配されている台湾では、いまでも本省人と外省人の対立があります。
これは南北の問題から更に発展して、大陸性の国民と海洋民族の違いと言う新しい要素があるからです。
南北問題に戻しますと、これが千年近くも経つ内に、南方に逃れた漢民族(と言っても一握りの亡命者でしょう・・農民は移動しません))が現地に同化されてながらも、吸収されるのが本来です。
ところが、逆に南方の異民族を漢人と思い込ませて異民族支配に気づかせないで成功しているのですが、その成功の秘密は何でしょうか?
この点は、追々また別の機会に考えて行きたいと思います。
兎も角南方系民族はいつの間にか、自分達は漢民族だと教育されて思い込んでいますから、政権を取れば都を北京に置きたがるのです。
明も建国当時は、南京を都にしていましたが、直ぐに北京に都を移しています。
ま、言い換えれば振り子の原理のように、無意識のうちにバランス感覚を取っていたのかもしれません。
しかし、現在の中国の躍進の原動力を見ても分るように、中国はもうずっと前から長江流域・・・南方の民が国を支えて来たのです。
秦嶺山脈以北は、恒常的飢餓に悩まされていたのですが、煬帝による運河の開鑿によって、南部の豊かな物産が継続的に北部へ輸送できるようになったのです。
以後南部が北部の食糧基地として、言うならば北部に搾取され続けて現在に至るのです。
当時は食料が産業のほぼすべてでしたから、その供給基地というのは、一方的な搾取の体制であったということでしょう。
その後の中国の重要な輸出産業となる陶器の生産地も、南部の景徳鎮ですし、現在の工業基地も殆どが南部にあって、その収益が北京などの北部やその他乾燥地域にばら撒かれているのです。
中国の躍進で、沿海部と内陸の経済格差がどうのとマスコミが議論しますが、本当の問題は、南部の富を北部および乾燥地域にばら撒くこれまでのやり方に、南部の人がいつまで黙っているかでしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
