12/15/05
海路の発達と中央アジア交易の縮小3(乾燥地帯から湿潤地帯への移動)
唐代も末に近いころの大詩人韓愈の有名な詩を紹介しておきましょう。
話がまた逸れますが、唐代末でも南部中国は瘴癘に地として、恐れられていたことがこの有名な詩で分るでしょう。
左遷至藍關示姪孫湘
唐 韓愈
一封朝奏九重天,
夕貶潮州路八千。
欲爲聖明除弊事,
肯將衰朽惜殘年。
雲横秦嶺家何在,
雪擁藍關馬不前。
知汝遠來應有意,
好收吾骨瘴江邊。
彼は、広東省のあたりの長官として左遷されたときに、途中まで見送りに来た姪の子に対して書いた詩です。
中国では祭十二郎・・という名文もありますが、一族の何番目という序列が重要で、詩の題名までこうした書き方をするのです。
例えば日本では単に「いとこ」と言って年齢が上か下か男女の区別さえ気にしない表現ですが、漢字で書くには、従兄弟、従弟、従妹、従姉などと、兄弟姉妹の別がはっきりしないと書けません。
おじ、おばも同じで、漢字で書くには、年齢を意識して、叔母にするか伯母にするか、伯叔の区別が必要です。
日本に比べて、中国は男女・年功の序列がきっちりした社会といえるでしょうが、これは今でもそうかと言うことにはなりません。
中国の方が早く文明が開けたので、こうしたことを重視する時代に漢字が出来て、それを今でも使っているだけともいえるのです。
日本は古代から、豊葦原瑞穂の国ですから、人類移動が乾燥地帯から始ったという私の仮説からすれば、人類移動を何十万年単位で考えれば、日本列島への移住は、黄河上流に人類が住み着いた時期よりも何万年も遅れたことでしょう。
日本語が形成されたころは、中国文明成立時よりもかなり時代が進んでいたのでしょうから、中国文明成立時ほど、年齢差や男女差が重視されていなかったのかもしれません。
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