12/14/05

海路発達中央アジア交易縮小2(乾燥地帯から湿潤地帯への移動

ちなみに、舟は古代からあって馬鹿にしたものではないことが、しきりに喧伝されますが、私の言ってるのは、何万年に亘る人類の移動の歴史を書いているのです。
12/09/05「漢民族と灌漑1」のコラムで、アフリカからユーラシア大陸への人類移動の歴史を少し書きましたが、人類は最初低湿地帯にすむ経験がなかったのです。
半砂漠的な乾燥地帯から人類の移住が始ったのですが、次第に海辺などでも住めるように経験を積んでいったのは、基礎事情としての大きな変化でしょう。
海岸への進出と言っても、マングローブの繁った東南アジアのように水辺と陸地の境界のはっきりしないような場所でなく、地中海世界やアラビヤ半島からインダス川までの海陸の境界のはっきりした方面からの移住が始ったのでしょう。
そうした順序から言えば、駱駝の背に乗って、砂漠を移動する技術の方が海路よりも遥に早く発達していたことは当然でしょう。
今考えれば、と言うか、我々南方系、水田耕作民から見れば、南方の方が暖かくて住みやすいし、水の豊富な地域の方が植物がよく育って生活が簡単なのに、乾燥しきったトルキスタンなどに人が住み着いたか不思議に思うでしょう。
しかし、乾燥地域から(熱いか寒いかの区別よりも)人類の移動が始ったとなれば、いろいろと合点の行くことが多いのです。
中国黄河上流域はその乾燥地域の最果てでしたが、少しばかり水が多かったので(日本ほど多すぎないので)少し適応力のある人種が住み着き、そこで灌漑を工夫して古代文明が興ったのです。
灌漑が出来る程度の水で充分で、それ以上びちゃびちゃに水があればむしろ怖くて住めない時代だったのです。
かなり南方との交流が始っていた唐代でも、南方に流されると、瘴癘の地としてひどく怖がられていたのを見れば、古代も古代の文字が生まれる前の大昔には、湿地帯はどれだけ恐れられていたかが分るでしょう。



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