12/14/05
途中のどこそこの場所が、どこの民族に占領されていたとかの興亡を取り上げて、そのときシルクロードが寂れたとかの記述が殆どですが、オアシス国家をどの民族が支配しても交易自体を妨害することはありません。
ステップ国家も完全自給困難な生産形態ですから、交易が死活問題ですが、それよりもなお、オアシス国家になると交易がなければ、基本生活すら成り立たないほどの貧弱な大地に依存しているのです。
オアシス自体の存続には、交易が死活問題ですから自ら交易を閉ざすことはありえません。
私が、09/05/05「商業と農業の先後関係1(孤立と自給化の進展1)」以下連載しましたように
中国は元々商業国家から始っていると書いているのは、このことから言ってるわけです。
中国はオアシス国家の終着点として古代文明が始っているので、先ず交易があったというのが私の基本的考えです。
匈奴や漢にしても涼にしても、チベットにしても外部からのオアシス(通商路)占領者は、交易の利を求めて入れ替わり立ち代り興亡していたに過ぎないのです。
今でいえば石油を求めて砂漠の国を占領したとすれば、占領者は石油採掘を妨害するどころか逆にもっと増産したいのが普通です。
ですから、この通商路をどこが占拠しても交易の利がなければ始らないので、交易が細くなったり太くなったりする関係は全くないのです。
次第に寂れていったのは、誰が占領したかではなく、別の要因・すなわち交易形態の変化でしょう。
舟や操船術が発達してくると、次第に海路での交易が増え、ついには交易が海路中心になっていくと、中国南方・・・今でもそうですが文化や流通の入り口になるのです。
(現在中国の開放経済も、広東郊外の深せん特区から始り、現在は上海が元気です。)
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