12/14/05
中国は、魏晋南北朝と言われるときだけが南北対立時期ではなく、その後の王朝の交替は東西でなく南北で行われるようになるのです。
日本では前漢と後漢などと言いますが、中国では西周に対し東周、西漢に対し東漢、西晋と東晋と呼称されます。
(台湾の故宮博物院に行ったときに、年表を見ていると日本の表記とは違うのに気付いたのです。)
これらは、すべて黄河線上で東西に移動しただけだったのですから、歴史的、民族学的分類では、前後で分けるよりは、地形で分ける中国での呼称の方が意味が明瞭でしょう。
いつも西方で王朝が興って、最後は東に押されて滅びると言う順序も明瞭です。
12/09/05「漢民族と灌漑1」で、少し触れましたし、私の持論ですので後にも書くかもしれませんが、古代にはタクラマカン砂漠経由の交易中心で、黄河流域はその終着点だったのです。
西が文化の入り口だったのですから、古代にはいつも西方から王朝が興ったのは深い意味があったのです。
戦国時代を統一したのも、西部を地盤にする秦でした。
日本のように前漢・後漢と前後で分けるのでは、何のために分類しているのか意味不明です。
せいぜい、同一性を強調したいのでしょう。
古代社会が終わりに近づくと、中国王朝の興亡は、東西軸から南北軸に移ります。
古代通商路であった中央アジアの地位低下と、関係があるのでしょう。
中央アジア・オアシス経由交易の地位低下原因には、いろいろな要素がありますが、海路交易が次第に発達し、オアシス経由交易の比重が下がったことが大きいでしょう。
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