12/13/05
ちなみに、インド大陸では、最後まで乾燥地域と湿潤地域の融合が行われないまま、戦後イギリスからの独立になったのです。
まとめてイギリスの植民地になっていた結果、たまたま一緒に独立したので、今は一つの国になっているだけです。
ところで、イギリスからの独立に際し、宗教を基準にパキスタンとインドに分かれたのですが、このときにインドの両端の現在のパキスタンとバングラデッシュが一つの国・・パキスタンになったのです。
バングラデッシュ側は、ご存知のようにガンジス河港域の超低湿地帯ですし、現在のパキスタンはアフガンにつながる乾燥地域ですから、生活様式や文化が全く違うのです。
これまで一緒になった歴史も何もないのに、宗教が同一と言うだけの理由で巨大なインドをはさんでおよそ1000キロも離れた両側に一つの国として独立したのですから、土台無理でした。
結局バングラデシュ側の独立運動となり、独立以来パキスタンとは宿敵関係にあるインドの支援を得て独立してしまったのです。
歴史を振り返ると、インドでは、史上最大の政権ムガール帝国、あるいは古代クシャナ国(仏教を広めたことで有名なアショカ王の出た国です)が有名です。
しかし、これらはいずれもアフガンの奥地(トルキスタン地方・または古代バクトリア王国の故地)からカイバル峠越えで進出してきた乾燥地域の民の征服王朝でしかなかったのです。
彼らはインド北部を占拠していただけで(インダスからガンジス河まで移行しますが、上流域にとどまり下流域まで進出しないのです。湿地帯は苦手だったのでしょう。)南部湿潤地帯にまで支配を及ぼしてはおらず、無関係で来たのです。
クシャナ国はインドの王国として殆どの方が理解していると思いますが、むしろ中央アジア出身ですので、タクラマカン砂漠に展開するオアシス国に影響を及ぼしたので、このオアシス国家を通じて、仏教が中国に伝わったものです。
特に仏典の漢語訳の功績で知られるクマラ什の名声はお聞きになったことがあるでしょうが、彼は天山南路に存在する亀慈国(クチャ)の王子でした。
今でも、インドと一口に言っても、内実はいくつもの国があるように言われているのは、そのせいです。
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