12/11/05
西晋のころには、まだ時代・・社会実質が全国的一律または首尾貫徹した法の施行を許すまで進んで?いなかったに過ぎません。
「進んでいたかどうか」と言う考え方について、疑問があるのでついでに書いておきますと、「荒廃が進んで」こうした制度を必要とするほどにはなっていましたが、全国化まで進んでいなかったと言うのが正確でしょう・・・。
現代の史観では、社会は「良いほうに進化する」と言う基本原則で理解するのが常識ですが、(後進国・先進国と言う表現が普通です)荒廃が進むこともあるのです。
私に言わせれば、社会は進化するのではなく変化するだけです。
戦乱が続いたからといって、国内いっせいに耕作者がいなくなったわけではなく、徐々に人口が減り、荒撫地が広がってきて、困ってしまったことから耕地の配給制と言うよりも、耕作の強制が始ったのでしょう。
最初は部分的な現象だったでしょうから、部分的且つ不完全な法(いろんな例外矛盾した内容を包含する法)から始めるしかなかったともいえるのです。
戦乱が続き荒地の比率が広がるにつれて、屯田の場所も広がり社会全体の多数を占めるようになってくると、公地公民制が原則化してきます。
隋の天下統一時期は、社会荒廃の完成・・到達点でもあったので、これに対して法も完璧に近くなったに過ぎず、彼が特に頭が良くていい法律が出来たわけではありません。
この何百年にわたる法の進化の過程と律令制を必要とした500年にわたる戦乱社会の収束状況を見れば、安定社会を現出した唐代の頻繁な改正は、律令制が進化していたのではないことが明らかでしょう。
唐代の律令制は、社会状況にあわなくなって行き詰まっていて、いくら改正を繰り返してもどうにもならなくなかった状況を表していると私は思うのです。
実際、玄宗のころには、府兵制が崩壊し、傭兵制に移行せざるを得なくなってきたことや、私有地が増加してきて均田制も崩壊現象が生じていたのです。
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