12/08/05
この試験(会試)では、行政組織に関する知識や処理方策など具体的政策も問われたようですから、唐代にはいわゆる唐律や令の試験もあったでしょう。
ただ、歴史物を扱う文学者の書物が一般に流布しがちですから、これを知識源にしていると、科挙試験に法律の科目があったの?と驚くことになります。
彼ら文学者には、この律令の内容が理解し難いことから(今でも司法試験の内容を理解するにはそれだけの学識が必要となってきます)、有名人と言えば李白などの詩人だけしか取り上げませんし、口頭試問で聞かれた内容も試文の才の問答だけが、取り上げられている嫌いがあるのです。
何と言っても行政官の採用試験ですから、本当は、今の司法試験みたいに、細かい法令の内容が重視されていた可能性があります。
ここでちょっと寄り道ですが、当時どの程度の法律があったのかについて、せっかく法律家のコラムですから、日本と中国の律令制の発展について、少し触れておきましょう。
中国の律令制は、267年に西晋で制定された泰始律令が最初の律令法典で、その後の南北朝時代に、主として北朝で発達するのです。
これが、いろいろ改正されていき、隋の天下統一直前の581年隋の文帝が制定した開皇律令が完成型であると言われています。
これが唐代に受け継がれ、唐初期から中期にかけて最盛期を迎えます。
この律令体系の基本は、
1・・・・・一律的に耕作地を配給する土地制度・わが国では班田収授法ですし唐では、均田法と言うそうです。
この耕地の配給制度は、北魏時代から徐々に発達したものですが、完成型では各戸や夫婦単位ではなく、個人に与えるものとなって、個人支配が徹底しました。
2・・・・個人を課税対象とする体系的な租税制度 ・・・上記と表裏の関係です。
3・・・・一律的に兵役が課せられる軍事制度・・・・これも個人に土地を与える代わりに個人が負担するものとなります。
4・・・・・個人を把握するための地方行政制度 ・・・中国では郷里制、日本では国郡里制をとり、末端まで官吏体系が出来上がり、戸籍制度も整備され、個人が徹底的に管理される社会が完成したのです。
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