12/07/05
生員は各自、自学自習して勉学に精進し、院試ごとに行われる学政の前記の「歳試」を受けなければならず、成績により選抜があり、成績の優秀な者は中央の国子監に転学したようです。
本来の科挙の試験は、最初は「郷試」と言われる地方での試験から始ります。
この「郷試」を受けるには、学政行う予が備試験「科試」に合格しなければ、受験資格が有りません。
合格して受験資格を得たものを「挙子」と言います。
元東大受験生とか元市長候補と言うのは、誰でも受験したり立候補さえすれば名乗れますが、科挙の場合は、受験生になること自体に試験があったのです。
ここで初めて科挙の受験資格があるのですが、科挙の試験も複雑です。
郷試の本試験に合格すると、「挙人」という名誉称号が終生にわたって授与され、大変な秀才とされます。
郷試(年に一回8月に実施される)のあった翌年の3月に、全国から挙人を集めて試験が行われます。
日本の司法試験の論文試験も8月に行われていたのですが、この伝統を継いでいるのかな?
これを「会試」と言い、これが、科挙の本試験であって、唐代にはこの試験は貢挙とよばれていたそうです。
清朝時代には、約1万名の中から200〜300名が合格したと言われ、最後に会試覆試を経て紫禁城保和殿で殿試(皇帝みづから試験する)を行い、通過者には進士という称号を授与しました。
進士合格発表式は太和殿で皇帝が自ら臨席して百官の参席する中、盛大に挙行され、この行事を伝臚または唱名といったそうです。(清朝の場合)
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