12/06/05
清朝当時の例では、5日間にわたって四書・五経・詩・賦・論を試験したと言われています。
入学出来なければ始らないのですから、入試競争から過熱していったらしいのです。
こうして国民みんなが四書五経の精神を骨の隋まで染み込ませることになるのです。
「生員」になると2、3歳前後で卒業らしいです。
各学校には教授(府・・正七品)・学正(州に置かれた。正八品)・教諭(県に置かれた。正八品)・訓導(従八品)などの学官がいましたが、実際はあまり授業を担当しなかったらしいです。
暗記中心では、教えることはなかったでしょう。
ちなみに戦前の小説で「訓導」がどうのという表現がありますが、明治政府は清の制度の真似をしていたのでしょうか?
勿論今でも小学校「教諭」と言いますが、その呼称はここからきているのでしょう。
大学「教授」というのも同じです。
上記の書いた順序で、今も教授と教諭の違い・格式が決まっているのです。
最近流行るのに、学生に対する教育を担当していない○○研究所教授とか歴史民族博物館教授と言うのが多いですが、教授は教える資格と言うよりも、「格式を現す」ものと思えば理解しやすいでしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
