12/06/05
09/30/05「科挙7(朝鮮の場合1)両班」以来朝鮮の話をしているうちに、大分離れてしまいました。
この辺で科挙の仕組みの説明をしておきましょう。
制度と言うものは改正が常ですから、科挙と一口に言っても、時代によって仕組みがかなり違うのは、あたり前ですが、宋代の科挙と清朝の科挙を中心にして、一応の流れを紹介しておきましょう。
科挙の試験の受験資格が、宋代には決まっていました。
宋代には、受験生が増えたからか、一定の国立学校の生徒でなければならない仕組みになっていたのです。
日本の司法試験も、大学の教養課程修了者が原則ですが、例外としてこの資格がなくとも受験資格がある仕組みです。
(これを司法一次試験といい、教養過程終了者が受ける試験を2次試験と言います。)
ただし、現行の司法試験制度は平成22年に終わりますので、その後は、法科大学院卒でなければ受験資格がなくなります。
宋代の制度に戻りますと、この入学試験を総称して学校試と言うらしいです。
学校試(童生試験)は3つの段階に分かれていて、第一が県で行なわれる県試、第二が府で行なわれる府試、第三が本試験ともいうべき院試で、この合格者が晴れて、生員(日本での生徒)になれるのです。
生員は「秀才」とも言われ(秀才の語源でしょう)、秀才は、童生、貢生、生員とも言われていましたが、歳試と言って、3年に一回秀才の勤勉・怠惰を査定するための試験が行われていたらしいです。
この県試に始る学校試では、主に四書から出題され、次いで韻を踏んだ詩文の才を試されるので、子供のころから徹底的に私塾などで四書や詩文の勉強をすることになります。
この段階で、徹底的暗記教育が行われます。
この暗記の過程で、儒教的思考方法が培われるのです。
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