12/03/05
明治政権では、単なる学問対象でしかなかった儒学を儒教へと宗教にまで高めてしまった事を書いてきました。
それまでは、朱子学とか陽明学とか言って、宗教としての扱いではありませんでした。
明治になって、儒学は宗教になったのですから、以来現在までの百数十年間社会生活全般の考え方(隅々まで)すべてに亘り・・(自然破壊思想に至るまで)一貫した思想教育の対象になってきたのです。
今ごろになって「地球にやさしい」何とか言って宣伝していますが、キリストなどでは「万物の霊長」などと威張っているから、環境破壊になっただけの話でしょう。
大体エベレスト征服とかいう発想自体、日本人には理解できない思い上がりです。
日本人は山に行けば行くほど、その自然の偉大さに心打たれるようになるのが、普通の登山家心理です。
中国歴代のすさまじい自然破壊は、目を覆うばかりですが、これまで書いて来たように、環境に全く目が行かない儒学(教)の生い立ちと無関係ではないでしょう。
わが国戦後の無茶苦茶な自然破壊が進んだ思想的裏づけは、明治以降儒教的思考の定着が進み、戦後完成した結果ではないでしょうか。
日本の古来からの考えや仏教のように、人間も動物も植物もみんな同じように
「生あるものとして慈しむ」
精神が維持出来ていれば、もっと前から地球に優しい生活をしていたし、戦後工業社会化が進んだとしても、少しは自然との調和を考えていたでしょうし、自然破壊の程度も、もう少し違った形になっていたのではないでしょうか。
戦後公害や自然破壊に反対運動して来たのは、会社員としての儒教的従属関係に組み込まれていなかった女性や弁護士でした。(ゴルフ場などは、自然破壊の最たるものでしょう)
政権側の都合としては、支配服従関係の強化が社会の隅々まで行き渡るのが望ましいので、明治以降営々としてこれの強化に努めてきたのですが、これが成功し過ぎて社会の末端にまで支配服従関係が強まって来ると、政権にとっても不都合が生じてきます。
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