12/01/05

明治以降儒教的社会の到来5(廃仏毀釈3)

神道と同居できないのは儒教の方でしたが、それの方はそのまま奨励されるのですから、明治の廃仏毀釈の目的は、戦後考えているような神道の国家宗教化とは関係がないことが分るでしょう。
戦後と言うか学校教育では、  
  「宗教と言うのは、2者択一であるべきである。」
  「日本人が正月には神社におまいりし、お彼岸や葬式を仏教でやるのはおかしい」
ような教えを受けています。
その教育を受けていると、「自分の宗教観はおかしい」と自虐的な話しをする人が多くなり勝ちですし、
   「明治政権が国家神道になった以上は、廃仏毀釈も仕方なかったのかな?」
と、当然のように受け止めているだけです。
実はそのような教育には嘘、というか、国民に対する誤魔化しがあって、
    「宗教である以上は、他宗排斥しなければいけない」
というのは、キリストやその系列のイスラムだけの話であって、その他は多神教なのです。
虚心に考えてみると
  「誰がそのように決めたんだよ〜?」
或いは何のためにそう言う教育をしているの?ということになります。
廃仏毀釈の真の狙いは儒教道徳、君臣の分際や家族制度の強制に邪魔だから、仏教思想の抹殺を図った点を、明治政権も戦後教育もみんなで誤魔化して隠しているのです。
アフガンのタリバンによる仏像破壊を、野蛮なことだと思う人が多いと思いますが、明治政府はこれに似たことをやっていたのですから、威張れたものではありません。
中国で言えば、焚書坑儒の逆張りをやったというところではないでしょうか?
仏教は、宗教だけでなく古代から教育制度を担ってきたのですが、徳川時代には、武士層の教育は儒学に取り上げられてしまいます。
(それまでは、最高級学問は日蓮などが学んだ叡山などの総本山・中級者向けには各地の壇林などが担っていたのです。
それでも、末端は寺子屋などで、庶民教育機関としての役割が残っていましたが、これも明治政府は政府でやるからと取り上げてしまいました。



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