12/31/04

里見家と真田家の浮沈1(皇室記帳の歴史)塞翁が馬1

今日は大晦日ですので、1年を振り返る意味で、真田と里見の浮沈の例を紹介しながら、「禍福は分からないものだ」というコラムで締め括ることにします。
私の知る限り、保元、平治の乱のころから続く習慣では、参陣した諸将は、到着すると陣幕の外に備えられた名簿に著到(もとは「到著」といわず「著到」と言ったのです。)の順に記帳をし、引き連れた騎馬何騎と兵力も記載する慣わしでした。
この記載順と、能力に応じてどれだけの兵力を引き連れたかが、忠誠心の目安として重要だったのです。
皇室の不幸や祝賀が有ると、記帳台が用意され、すぐに行列が出来ますが、こうした時代の名残を大事にする人たちの子孫だと思います。
結婚式でもやっていますが、今では記載順は関係がないでしょう。
ついでに言いますと、到着の「着」は、正確には今では「著しい」と「著作」にしか使われない「著」(ちゃく)・「到著」が使われていたのですが、戦後またはいつのころかはっきりしませんが「到着」とか洋服を「着る」とか言うときは、「著」をやめて「着」ると言う簡略文字になってしまったのです。
戦後当用漢字になっても「著」と言う字は残っているのに、(複雑すぎて廃止されたのなら分りますが)「著」とその簡略体または俗字の「着」が並存状態で使い分けるようになったのは、珍しい用例だと思います。
宦官の「宦」と「官」が、別々に専用されるようになった事情については、11/26/04 「官と宮との違い2 」のコラムで少し書きましたが、これと同じかもしれません。
今のところ、想像の域をでませんが、この辺は国語学者が詳しいでしょう。
話を参陣が遅れた結果に戻しますと、里見は伊達と違って初めから旗幟鮮明にして参加したのに、到着が遅れたと言う理由で文句なしに領土の半分以上?を秀吉に没収されてしまったのですから、里見としては納得できず悲惨でした。



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