12/28/04

兵農分離4(兵の強弱と日常生活)(コサック騎兵)

今のサラリーマンが、スポーツ愛好家といっても体力の程は、多寡が知れています。
実際、彼らに肉体労働をさせたら、すぐにへたばってしまうでしょう。
同じく半農の兵でも、甲州、信州の兵が、尾張や周辺の兵より強健であったのは、山また山の谷間の斜面で、日ごろから歯をクい縛って歩き回っていて鍛えかたが違うからだったと言うのも同じでしょう。
三河の兵の質実、質朴さが、ものの本にかかれますが、これも平野部の農民出身兵中心の尾張兵に対する比較です。
平野部出身の尾張兵の弱さが・・・・すなわち足腰の弱さが、接近戦、組討戦に比較的弱い体質になり、長い槍か短い槍かの論争や、銃器の早期取り入れに繋がったのです。
三河(徳川)兵は、「松平」と言う地名が示すように、元は山の中の僅かに開けた土地が発祥の地ですから基礎体力が違うのです。
世界的に有名なコサック騎兵の強悍さは、コーカサス山脈のふもとに展開する地形からきているのではないでしょうか?
インドのグルカ兵の勇猛さ、その他現在ロシアのチェチェン反乱軍の強靭さは、いづれも山岳周辺民族の強さでもあるのです。
ところで、越後の兵の強健さは、斜面と言うよりも今の平らな水田を想像すると誤りますが、江戸時代ころまでは1面の水浸しの泥沼で、(ところどころに島があるような状態だったといいます。)そこに苦労して僅かに(田舟に乗って)ある土を掻き集めて稲を植え込んで、千年近くも頑張ってきた歴史があるからです。
どちらかと言えば辛抱強さ、忍耐力に特徴があるのでしょう。
私の学生時代のクラブ活動の関係者に越後の人がいることもあって、私は、越後の人に特に親近感を持っています。
今の越後平野を見れば、河岸段丘とか沖積平野というよりも、まっ平らで、元は海だったといえば分りよい景色でしょう。
勿論新潟と言う地名自体、元は「潟」であったことをあらわしているのです。
こうした経過は司馬遼太郎の「街道を行く」にも詳しく記載されているところですが、いつものとおり「うろ覚え」に、私の感想を織りまぜたものです。
戦国末には、既に大大名は毛利の広島、尾張の信長、秀吉・大阪城その他、みんな平野部に進出しているのです。(家康も祖父の代から岡崎まで出ていますよ・・武田も昔から甲府盆地の真ん中です)
ところが、上杉謙信の本拠地春日山城の所在が、大大名でありながら、現在の平野部の真ん中や河口(新潟市)になく、山が尽きるところにあるのは、当時は、越後平野はまだ水面ばかりの時代だった証左でもあるのです。



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