12/23/04
士農工商の実際3(職業分化と階級1)刀狩の意義
学者は、江戸時代は士農工商がはっきり区別された身分社会であったと言いますが、もしかしたら、無理に西洋の中世社会に当てはめているだけじゃないでしょうか?
例によって、学問的資料に基づかない無責任な放言ですから本気にしないで、まあ読んでください。
士農工商の身分化は、たまたま徳川家が家臣(譜代大名)に転勤ばかり命じていたことや、旗本、御家人が三河から付いてきたので地元密着にならなかったことによって兵農分離進み、他方で徳川直割地に大都会が有ったことによって、工商の分業が発達したのが1部目だっただけではないかと言うのが、私の仮説です。
学者が喜んで、日本のホンの1部でしかなかったこの現象に飛びついて、西洋中世と同じフューダリズム(封建制)だと定義づけたのではないでしょうか?
歴史と言うのは、好きな部分をつまみ出せば、いくらも自説に有利な事例があるものです。
そのためにも、太閤による「刀狩」をことさらに大きく取り上げますが、近藤勇の例を出すまでもなく、郷士はおろか、農民、町人でさえ、道中差といって刀を携行していますし、渡世人はいつも刀を差しているものでした。
武士とその他の違いは2本差かどうかだけですから、武器の回収としては、殆ど意味がなかった筈です。
江戸、大阪、京を除く田舎では、半農の大工その他の職人など兼業が中心だったでしょう。
こうした経済状況下で、いきなり、これから「士農工商どちらかになれ」と、権力的命令でどちらかに切り分けることが可能でしょうか?
兵としての給与だけでは生きていけないし、かと言って農だけでも生きていけない末端の兵にとっては、そうは簡単に切り分けられません。
勿論、大工や左官屋その他の職人も同じで職人だけで食っていけと言われても半分農業しながらでなければ、生きていけるほど仕事がない田舎も同じです。
家具職人は、職人に徹しなさい。自分で売ってはいけないと言われても困るでしょう。
07/31/04「現在の免許とは3(酒類販売免許・酒税法1)」以下のコラムで、酒の話を書きましたが、戦前ころまでは、製造兼販売だったのです。
殆どの分野で工と商は分れていないのが、普通だったでしょう。
今でも企業が、製販一体会社が殆どです。
士農工商の厳格な分離命令が仮にあったとすれば、現在の兼業農家に、農業をやめるかサラリーマンをやめるか迫るようなものです。
あるいは製造販売している職人に「売るだけにしろ」とか「作るだけにしろ」と命令するようなもので、打ち立ての手打ち蕎麦や、作りたての饅頭は食べられなくなるでしょう。
そんな無茶を政治が強制出来るわけがないのですから、厳格な身分制度・・・という図式論は、おかしいのです。
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