12/18/04

流刑(仙台伊達家の場合2・・・[北の零年])千葉の歴史11(勤勉革命の素通りと「野菊のごとき君なりき」)

1700人も家来のいた伊達邦成が僅か58石に格下げと言うのでは、「死ね」と言われたのと殆ど変わりません。
今の給料に引きなおすと、28万円の給料から580円に減額されたことになるのですから、生活保護のない時代に、これでは誰でもやっていけないでしょう。
これでは、下男一人雇えるかどうかと言うところですし、簡単に言えば全員懲戒解雇・・・失業したのと殆ど同じです。
その上主人の伊達邦成を除いては、全員士分の身分を剥奪されたと言うのですから、階級・名誉が命より大切な当時としては、破天荒な厳しい処分です。
こうなれば、伊達(邦成)家および家臣としては、自分だけ死んでも家族が生活できませんので、死ぬわけにも行きません。
イチかバチか反乱を起こすか、(森鴎外の名作「阿部一族」みたいに立て籠もって玉砕するか・・・それにしても一回蜂起して負けたので降伏したのですから、今さら玉砕もないでしょう。)家臣とともに新天地の開拓に新生を託すしかなかったのです。
幸い伊達藩の場合は、落城まで行かないうちに講和したので、家財は残っていました。
それで、武具甲冑家屋敷など金目のものを売り払って移住資金にし、且つ計画的に出来たのと、新政府の北海道開拓という国策に応募(恭順)したこともあって、会津ほど悲惨な状態にはならなかったようです。
最近吉永小百合主演の[北の零年]と言う北海道開拓ものの映画が話題になっていますが、(未公開ですから)まだ見ていませんが、もしかしたら伊達藩をイメージしたのかもしれません。
その他、各藩の移動を書いていると話が横へ行き過ぎますので、この辺で省略しますが、明治維新以降は、多かれ少なかれ東北地方全体で、関が原で敗れた長州・毛利家の苦境みたいなものがみなぎっていたのです。
明治までは勤勉革命が行き渡っていなかった関東以北でも、明治以降は、こうしてみんな必死に生きていたことが分かるでしょう。
東北出身の明治大正期の文学者が、こうした背景を背負っていたのですから神経症的な人が多いのは故なしとしません。
それに引き換え、房総は、そこまで時代感覚が遅れていませんでしたので、朝敵にもならず、懸命な生き残り策を模索する必要が生まれなかったようです。
当時の千葉県成東出身の歌人伊藤左千夫(1913年大正2年没)の例でみますと、彼は、在学中に失明すると言われて中退し、その後21歳のころから3年半ほど牧場の住み込みで働いて自分で牛を飼うようになって、生計をたてたと言うのですから、決して経済的に楽していたわけではありません。
それでも彼の作品は、石川啄木のように悲壮なものではなく、太宰治のように屈折したものでもありません。
「野菊のごとき君なりき」で有名な小説「野菊の墓」などは、今の千葉人の屈託のない明るさ(野球の長島さんを思い浮かべてください。彼は千葉県佐倉の出身です)、健康な若者を感じます。
その他伊藤左千夫の詩を見ても、今の時代と同様に叙情的で明るい歌が多いのです。
なお左千夫(アララギ派)の門下から、島木赤彦、斎藤茂吉などを輩出しています。
12月12日・・・1「関東平野の今昔(雑木林は原風景か?)」のコラムで紹介した国木田独歩も千葉出身の人ですが、東北人の悲壮感がないでしょう。



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