12/16/04
地方都市と観光行政6(地方の独自性2)無洗米
地方自治体の役人は、その自治体の組織員としての限度で思想・行動は縛られますが、これからは多様な意見の母体・インベキュウダーになるべき大きな役割・付託に応えて、よそのまねをするのは1日も早く卒業して欲しいものです。
画一的でも何でも町がきれいになるのは、われわれ旅行者、居住者にとっては、旅行し易くなったり生活が豊かになって、有り難いのですが、住民を食わせる産業としてはどうでしょうか?
函館郊外の大沼や、信州の山奥などは、もともと人が殆ど住んでいなかったのですから、観光客がくるだけで大変な産業と言えるのでしょう。
ところが聞いてみると、函館の人口は28万とかで、現在の函館の観光資源だけでは、(勿論沿岸漁業その他がありますが・・・・)これだけの人口を養うことは出来ないのではないしょうか。
千葉とは違って、観光向けの整備は進んでいましたが、20年近く前に訪れたときに、滅びつつあった北洋漁業や、造船業に代わる産業が、これと言って見当たらず、観光業だけになるのでは寂しいものです。
函館に限らず、地方は独自産業を育てないまま、政府の音頭に従って、リゾート開発にまっしぐら、これが駄目になると、今度は猫も杓子も観光立地と言うだけでは、地方経済は、疲弊してしまうのではないかと言うのが、函館の旅の実感でした。
農業は、この種の政府の思いつきに振り回された挙句、瀕死状態になってしまったのは周知のとおりです。減反の代わりに果樹園芸、養豚とかいろいろ奨励しては失敗の繰り返しです。
そう言えば・・・現在どこへ行っても蕎麦畑だらけですが、これも画一行政の弊がそのうち露呈するのではないでしょうか?
この反省から、ここ10数年前から「政府の意見に頼らず自分でやるんだ」と言う気運が、農業従事者の中に少しずつ盛り上がってきているのは頼もしい限りです。
無洗米の開発なども、政府は八郎潟の干拓で入植を奨励しながら、入植者が努力してやっとお米が出来るようになると、減反強制と言う無定見な農政に振り回された自衛から始ったらしいのです。
やはり、時間がかかっても、独自の地方発の産業を生み出して行かなければ、地方は長期的にやっていけないでしょう。
そのためには、地方に人材がなければなりませんが、その前提としての地方自治が重要です。
鶏が先か卵が先かの問題ですが、この関係は教育改革のシリーズで、昨年の9月23日から10月27日まで連載していますし、その他各種テーマのコラムで地方自治の重要性を論じていますので、キーワードで検索して見てください。
地方の人材枯渇は、明治以来、政府が100年以上にわたって中央集権化、地方の疲弊策を取ってきた結果なのですから、今から積極的に取り組んでも一旦荒れた土地に再び作物を植えるようなもので100年以上かかるかもしれません。
まして中央政府は、中央の威令を末端まで行き届けさせたいのが本質ですから、画一サービスの保障とか別の言葉で反対し、分権とは本質的に相容れない立場です。
こうして仕方なしに、表向き地方分権と言いながら徹底的に抵抗勢力になるのでしょうから、うまく行っても200年かかるのかな?
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC