12/11/04
地方都市と観光産業3 (千葉の場合)「冬期湛水水田・不耕起農法」のふるさと
4日目は、御仕事でした。
北海道、東北地域代表者からなる、ある協議会に出席したのですが、テーマは全く別のものでしたが、議論の端々に債務整理事件が、異様に大きなウエートを占めている現状が窺われました。
観光地が華やかに復活している陰で、地方経済の厳しさが伝わってくるようでした。
いまや、観光立国とかの掛け声に乗って、地方は観光地整備にいっせいに舵を切っているようです。
函館駅前の整備もそうした一環の公共工事なのでしょう。
ただし、千葉県は、表向き掛け声を掛けていますが、今のところそうした風潮にあまり同調しそうもない様子です。
11/28/03「身近な行楽2(豊かな自然と千葉の歴史1)〜2」のコラムで紹介したように、千葉では、江戸時代に全国で生産が2倍以上になったときに、千葉だけは殆ど増加しなかったと言われていますし、戦中戦後の食料難時代どころか今でも、平地を開拓しないで雑木林(植林すらしていません)のままにしている県民性です。
また、今の先端農業として注目されている、「冬期湛水水田・不耕起農法」でも、特別な試みとしてではなく、私の近くでは弥生時代からずっと続いていると思います。
本当は、千葉の人は怠けていたのではなく、灌漑に適した川が少ないことから、自然に水が溜まるのを待つ水田・谷津田形式の水田が多いのです。(おかげさまで、今でも特別な努力なしで白鷺などが飛来しています。)
結果的に水を引くこともなければ抜くこともない、何もしないでよいのですから、怠けていられると言う訳ですが・・・。
千葉には大きな利根川があると思う方が多いでしょうから、利根川の水について少し説明しておきましょう。
利根川はもともと江戸湾に流れていたのを、ご存知の方が多いと思いますが、氾濫を繰り返して江戸近郊は今の水郷地帯みたいになっていたのです。
歌舞伎の里美八犬伝の一幕である「結城合戦」では、大きな船が用意されて、そこで戦う場面が中心だったとおもいます。
宮本武蔵の活躍したころは、水郷地帯で、船が主な交通手段でしたが細かい湖沼が散在しているために、(近くに目印になる山がないのと相俟って方角が分らなくなるリスク)却って迷子になりやすく正式な交通路としてはあまり使われなかったのです。
現在人からみると、草むらを歩くと言うと膝くらいの草むらを想像して気持ち良いだろうと馬鹿にしますが、草というのは放置していると2メートル前後になるのが普通です。
馬に乗れば見渡せますから、坂東での騎馬の発達は単に平地が多いから走りやすいだけでなく、この草むらと少し関係があるでしょう。
関東平野のような平坦地で、草むらをむやみに歩くとほんの百メートル先も見えず、うっかり平野部を歩くと迷子になって行き倒れる危険があったのです。(現在の青木が原樹海みたいなものです)
それで、古代から房総の貝を群馬方面へ売りに行く運び屋さんは、一旦海岸沿いに北上して、そこから連山のふもとを廻って群馬方面まで行って、そこで、石器に必要な石を購入して帰るルートだったらしいのです。(千葉には、今も昔も石がないのです)
シルクロードで言えば、天山南路も北路もそれぞれ山脈の縁を通っているのも同じ理由でしょう。
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