12/31/03
大晦日3 (太陰暦から太陽暦へ)
話のついでに、宮沢賢治の詩?も紹介しておきましょう。
「みそかの晩とついたちは 砂漠に黒い月が立つ。
西と南の風の夜は 月は冬でもまっ赤だよ。・・・略」
みそかとついたちは、新月ですから月が真っ黒というイメージでしょうか?
日本書紀に戻りますと、昔は、今のように街灯がありませんので、月を頼りに生活していると、1日が太陽の部と月の部の2種類あったような感じで生活していたのが分ります。
昔は、「暗くなるとすぐ寝ていたのか」と言うとそうではなくて、結構月夜や星明りを頼りに夜は夜で、いろいろなことをしていたようです。
今のように電気が明るすぎると、電気のない生活は暗いから何も出来ないと思いがちですが、細かい文字を読むようなことよりも、もっといろいろすることがあったのです。
今でも庭仕事をしていて、いつの間にか、とっぷり日が暮れているのに気付いて驚くことがあります。
日暮れ時に農作業などしていると、徐々に目が暗闇に慣れてしまうものなのです。
昔から、いろんな行事は夜中に始まるものが多いと思いますが、如何でしょうか?
一日は昼と夜で成り立っているのだという驚きが、(子供って変なことに驚くでしょう。)45〜6年以上も前に読んだ「新治筑波を過ぎて・・・・(日々)かがなべて・・」の文章をいまだに記憶させていたのだと思います。
話を太陰暦に戻しますと、太陰暦ですと、閏月(今の閏年は1日多いだけですが、この時代は、一ヵ月多くて13ヶ月になったのです。)まであったくらいですから、(女性は詳しいと思いますが月の運行は原則28日周期です。)ひと月が31日もなかったのです。
閏月と言えば、明治維新政府は、政権を取ったのはいいものの、幕府(江戸城御金蔵)には全然蓄えがなくて、金欠で困ってしまったのです。
政府が役人の給料を払うのに困った結果、急遽太陽暦を採用して閏月をなくしてしまって、一回分の支払いを免れたのは有名な話です。
このせこい政策を考え出して実行したのは、ときの大蔵卿大隈重信ですが、彼は佐賀閥の中でも人望がなかったといわれていますが、こうした「せこさ」が彼の身上(しんしょう)ではむべなるかな・・・というところですね。
その彼が、早稲田大学の創立者になって名を残したのですから、人生何が幸いするかわかりません。
ま、そんなわけで、太陽暦になって、閏月がなくなった分毎月が、2〜3日多くなりました。(一か月分の給料を28日で払うよりも得ですよ〜。)
こうして1か月に31日もある日が出来たのですから、その後は、月末は晦日ではなくなりましたが、昔ながらに晦日と言いならわしているのです。
ところで、大晦日を、「大つごもり」とも言いますね。
樋口一葉の有名な作品名でもあります。(私は有名なものしか知りませんので)
コラムが長くなりますので「大つごもり」は、来年も覚えていたら、書くことにしましょう。
「大つごもり」に際して、拙いこのコラムを愛読して下さった方々に感謝をこめて、平成15年のコラムは、これで終了とします。
来年も思いつきでいろいろと書きますので、引き続きご愛読下さるようお願いします。
では、皆さん良いお年を・・・・・・。
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