12/26/03
身分とは?3(中世社会2)公家
公家の話に戻ります。
朝廷や天皇を指す、公家という言葉が、平安後期になると朝廷に仕える官人身分のものを指すようになり、このうち、最上級の地位である大臣、納言、参議、及び三位以上の朝臣を公卿と言います。
源平合戦で有名な源三位頼政は、除目に洩れて4位のままでしたので、椎の木に懸けて、・・・の椎(4位)を拾って年を取るのか・・というような和歌を詠んだので、これはまずい(平家は、全盛とはいえ反主流がないのに越したことはないので)と言うことで、急遽3位の位に昇進させてもらったとか言われていますが、3位までは公卿ですから、3位と4位では大きな違いがあったことが分りますね。
四,五位の者を、諸大夫と言い、同じく平家物語の一節、一の谷の戦いで熊谷次郎直実に討たれた「青葉の笛」の主人公こと平の敦盛は、無官の太夫として有名ですが、彼は無官ではあったものの、若くして太夫、即ち4位か5位までの位に昇進していたということです。
次に、主として6位以下のものを侍(さぶろうもの)と言いました。
後に出現する武士もこの侍の一部でした。
当然のことですが、侍が全部、武士ではありませんので、御間違いのないようにしてください。
諸大夫のうち昇殿を許された者を殿上人と言い、昇殿を許されない諸大夫及び6位以下の者を、地下人と称しました。
地下人などと言うと、いかにも地下の人、はだしで歩いている庶民みたいですが、実は結構な身分だったのです。
平家物語では、平正盛が昇殿を許された場面が有名ですが、少なくとも5位以上に昇進しなければ、どうにもならなかったと言うことです。
公卿の内部でも、最高の官職としてどこまで就任可能かによって、摂関家、清華家、羽林家、名家などに分かれていたのは、ご存知のとおりです。
摂関家(近衛・九条・一条・二条・鷹司の5家。執柄家とも言います。) については、皆さん詳しいでしょうから、馴染みの少ない清華家から紹介しておきましょうか。
この家のひとは、近衛大将を経て太政大臣にまで昇りうる家柄とされていたのです。
清華家には、久我家、広幡家、三条家、西園寺家、徳大寺家、花山院家、醍醐家、今出川家、大炊御門家の九家がありました。
ちなみに、明治時代に華族さまと言えたのは、この五摂家と清華の家柄まででした。
次に「羽林家」と言うは、大・中納言、参議を最高官位として近衛中将・少将を兼ねることの出来る武門の家です。
羽林家には、四辻家、冷泉家、庭田家、小倉家、中御門家、清水谷家、薮家、滋野井家、綾小路家がありました。
和歌の家柄で有名な冷泉家(藤原俊成、定家の家系)が、武官の家柄とは驚きですね。
このころは、武官、文官と言っても如何に形式化していたかが、判ると言うものです。
名家と言うのは、
実務官僚として侍従・弁官を経て蔵人頭を兼任し、大納言まで進むことの出来る文官の家柄でした。
半家と言う家柄は 文官・武官双方の官職に任ぜられ、大納言まで進むことのできる家です。すが、名家のようには、実がなかったようです。
以上が、公家と言われる格式の家柄でした。
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