12/25/03

身分とは?2(中世社会)政府とは?

江戸時代には、士農工商という身分制度が固定化されたことは、誰でもご存知だと思いますが、その江戸時代の身分制度を理解する為には、そのちょっと前まで遡ってみる必要があるようです。
中世社会では、天皇及び摂関家等の上級公家身分(いわゆる貴種)を頂点に、上下に序列付けられた多種多様な身分階層によって構成されていたようです。
これらは、律令法のように、法律(勿論当時には、法律と言う言葉はありませんが、喩えて言えばと言うことです。)で決まっていたものではなく、慣習的な社会身分として秩序付けられていただけでした。
これを大別すると、 A 天皇・公家 B 武家 C 凡下、百姓 D 下人、所従 E 非人   F 社家、(神官)、寺家(僧侶)の6通りであり、このうち、A〜Eは、俗界の身分、F は、聖界=僧界身分と大きく分けられます。
以下順に見て行きましょう。
公家・・・・
公家は、本来、朝廷を表し、ひいては、天皇も意味するようになっていました。
江戸時代には、「公儀」という言葉が多用されていたことからも、「公」という文字は、今でいうところの政府を意味していたのです。
ちなみに、「公儀」に代わって「政府」という用語が、明治維新政府によって使われるようになった経緯については、正確にはわかりませんが、例によって思いつきで書いて行きます。
毛利家が、関が原で負けて、幕府に裏日本の萩を首都とするように強制されたのは、以前に会津藩のコラムで書きました。
その萩を、幕末のころには、もぬけの殻(と言うほどではないけれど)にして、山口に政事堂を作ったり政庁、藩庁と呼んだりしていたことが参考になるでしょう。
これまでの幕府の幕を使うのでは、軍事政権そのものですから(幕は幕僚とか幕舎とか軍事行動に伴う漢字ですね)、王政復古になった以上は、幕府と言う名称を変えねばならなかったでしょう。
そこで,さしあたり長州で使っていた「政」と[幕]を入れ替えて、[政]府としたものでしょう。
頼朝が武家政権を樹立以来、700年近く続いた武家政権を幕府と称するのが普通になっていました。
ところで、幕府と言う呼称は、頼朝や、足利尊氏や、徳川氏が自称したのではなく、政権自身は、御所とかいろんな言い方をしていますので、後世の歴史家が政権の性格を見て、このときから、幕府と言うべきだと議論しているに過ぎません。
幕府と言うのは、語源的には出征中の将軍の幕舎を指すのは当然ですが、軍事政権が恒常的に政治を行う以上は、これを幕舎で行う政治だから幕府(垂簾政治とか政治を行う場所によって言うのと同じ発想です。)と言うべきだというものです。

そこで鎌倉幕府は何時成立したのかについては、東国政権樹立時、(1180)朝廷・後白河法皇から、東国支配を公認されたとき(1183)、全国に守護地頭設置したとき(1185)、右近衛の大将の補任されたとき(1190)、征夷大将軍に補任されたとき(1192)など学者の諸説があるわけです。
以上の考えは、「幕」という文字が軍を意味し、、「府」という文字は政治を行うところという意味を前提とするものです。
ところで、政府の「府」は、もともとは、役所や蔵を表す言葉ですが、三国志で有名な諸葛孔明の「出師の表」では、「宮中府中」として、「府」という文字だけで、軍事部門の役所として使い分けられています。
すなわち「宮中府中倶為一体、陟罰臧否不宜異同。」(宮中府中は倶に一体為(た)り、陟罰臧否するに宜しく異同あるべからず。)
皇帝は、つい身近な廷臣の意見を聞き、大切にしがちであるが、「宮中・即ち廷臣・文官と府中・即ち武官を一体として分け隔てしてはいけない」と諌めたものです。
わが国でも、左兵衛府とか近衛府の長官などの言いまわしもあって、武門の役所に使われる傾向があったのです。
こうした歴史を見ると、幕府と言う名称は、「幕」と言う漢字だけで軍事政権を表したのではなく、役所を表す言葉の中でも、軍事に関する役所に多く使われていた「府」を併せて使ったことがわかります。
ただし、その以前から「国府」と言って、軍政民政に拘わらず政治をする役所に「府」が使われていたことと、700年近くも幕府政治が続いたので、政治をするところが「府」であるという意識の定着もあったので、幕府に代わるものとして「政」府となった可能性もあります。
ただし、朝鮮・台湾総督府などの用例で明らかなように、近年でも軍事的色彩の強い役所に「府」は使われていますので、昔の国府も軍事拠点的な意味があったのかも知れません。
もっと、うがった見方をすれば、明治政府は王政復古とは言っても、実質軍事政権であったことは否めないところですから、「政+府」は、まさに王政と軍事政権の合体を表す意味があったのかも知れませんし、昭和に入って軍人が政権を牛耳ったのは、鎧の上の衣を脱ぎ捨てて、本質をあらわしただけと解釈できるかもしれません。
こうして考えて行くと、平和憲法国家の政治をする機関は、「政府」と言う明治の呼称のままでよいのか、とは言っても・・・・・・イラク戦争が示しているように、覇権国家の時代は続きそうですから、軍事力も必要だし・・・・本来何と言うべきなのでしょうね?


今回の読み物関連書籍:




関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:天皇に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:皇族に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:明治に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:国家に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:江戸に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:政府 に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:身分 に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資