12/17/03
勘定奉行(県と政令市))(江戸時代の裁判機構2)
勘定奉行という名称からは、財政だけの責任者みたいに見えますが、実は江戸や京、大阪(京には所司代と町奉行・大阪城代、町奉行、堺町奉行があります。)など奉行所の置かれていない天領すべての司法、行政も担当していました。
勘定の「勘」とは、どう言う意味でしょうか?
勘考するとかいろいろな言い回しがありますが、共通する意味は、深く考えると言う意味です。
こうして勘考すると、勘定奉行は、幕府のいろいろな事柄全般を、深く考えて決定する奉行・実行責任者を、最初は意味していたのかもしれません。
そこから、身近な町奉行が独立し、最後には、関八州も抜け出していったのでしょう。
そして勘定奉行所の内部においても、後に公事方(司法)と御用方(勝手方)に機能分化したのです。
銭勘定は、専門分化しないとやっていけないからでしょうか?
いずれにせよ勘定方には、優秀な人材がそろっていたと言われていますが、(後に寺社奉行の司法実務を、勘定奉行所から出向した役人が担当するようになっていたのもその1例です。)この「勘」と言う意味に副う人材を集めていたからかも知れません。
つい最近まで存在した大蔵省に人材が集まっていたのと結果は似ていますが、実はその構造は違うのです。
明治以降では予算制度ですから、制度の必然で、大蔵省・財務省が政策全般に発言権を持つようになったので、その権限の魅力で優秀な人材が大蔵省に集まったに過ぎません。
江戸時代には予算制度がなく、勘定方と言っても経理部門的な機能でしかなかったのです。
また各行事、役職は、禄を貰っている以上奉公すべきものでしたから、その担当者(大名、旗本)の費用(自弁)持ちでしたから、大蔵省のように査定したり予算をつけるという仕事は、鼻からないのです。
こうしてみると、勘定奉行所の役人は権限に魅力があって集まったのではなく、能力があるという評価に魅力があったから秀才が集まったのでしょうし、おのずから、廉潔の士が多くなった筈です。
勘定奉行が、全国の天領すべての司法権、財政、行政権を持つとは言っても、都会には所司代や町奉行がありますので、田舎回りの仕事しかありません。
関八州は田舎ですが、これは後年老中直轄となってしまいました。
今でいうと県と政令指定都市や一定規模の市町村との関係みたいです。
千葉県の例で言いますと、例えば県の保健所勤務と言うと、県庁所在地の千葉市に職場があるかと言うと、さにあらず、政令市(いわゆる政令指定都市だけでなく、保腱行政に関する政令のある大きな市です。・・・中核都市がオーバーラップするかもしれません。)は、自前の保健所を持ちますので、県職員になると、県のはずれ、銚子や佐原、館山のような僻地といったら叱られますが、県の中心地域から遠く外れた場所しか職場がないのです。
建築確認行政でも、ある程度の市では、自前で建築確認をしますので、県が担当するのは、小さな町しかありません。
水道その他も同じです。
こうして今は、県の仕事は、どんどん空洞化しているのです。
勘定奉行は全天領の司法、行政権を握っていたと言っても、奉行が全国出張するのは不可能でしょうから、目が行き届かなくなるわけです。
なお、勘定奉行は、定員4名で月当番でなく、隔年交代でした。
評定所は、3奉行が核となり、最高裁判所的機能を果たし、さらには、老中の下問に答え、下問がなくとも、自発的に法の制定、改廃、解釈をし、立法機関的機能を果たしていたようです。
今回の読み物関連書籍:
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:役人,官僚に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:役所に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:地方に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:行政に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:江戸に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:徳川に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
