12/16/03

公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)

刑罰を具体的に書くには、私のうろ覚えでは、皆さん迷惑するでしょうから、以下のコラムでは、牧英正、藤原明久編日本法制史・青林法学双書(1998年)のデータを参考にしましたので、お断りしておきます。
勿論意見に亘る部分は、あくまで私の独断と偏見の思い付きですので、上記著者には何の責任もありませんので、念のため。
刑罰の種類を正確に紹介するには、前提としての刑罰法規が必要です。
8代将軍吉宗が、享保9年に従来の仕置き例の調査分類を評定所に命じ、「享保度法律類寄」が成立しました。
これに基づき、元文2年(1737年)公事方御定書の編纂に着手し、享保の改革の仕上げとなる、幕府最初の体系的な刑法典として、寛保2年(1742年)「公事方御定書」が出来上がったのです。
それまでは先例に従って、或いは個々に発せられる「お触書」など従い、3奉行(勘定、寺社、町奉行)や評定所で決定していただけで、法典としての体系はありませんでした。
ついでに江戸時代の裁判機構の仕組みについて説明しますと、町奉行は、旗本から抜擢され、3名のときもありましたが、原則2名の月番制で交代で務めました。
たまたま、奉行所が江戸の北と南にあたる方角にあったので、南町奉行所、北町奉行所という通称が出来たらしいのです。
町奉行や郡奉行と言うと裁判ばかりが、物語に出てくるので、皆さんもつい、今の裁判所のようなものと、思いがちでしょう。
しかし当時は、司法と行政の区分がありませんでしたから、江戸やその他の町での行政もしていたのですから、今の裁判所とは違います。
もともと、奉行というのは、作事奉行だれそれというように、何かをする責任者という意味から発展したものでしょうから、町奉行、郡奉行といえば、その地域の責任者と言う意味になるのは当然ですね。
要するに、今の市長さんが警察権、裁判権を併せ持っているようなものです。
ちなみに江戸幕府は、権力の集中を防ぐ為に、老中も奉行も原則複数として月番制で交代していました。


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