12/09/03

千葉の歴史7(千葉県人と海洋史観3・・勤勉革命)

川勝先生の海洋史観の拾い読みでは、(私がよく読んでいないだけかも?)日本人と大きく言っている為に、千葉県人にまで、海洋圧力に対するレスポンスが及んだのかどうかハッキリしません。
私の考えでは、これまで書いてきたように、鎖国の有無にかかわらず千葉県は幕府直轄領、ないし、小さな譜代大名、旗本知行地が細かく入り乱れていた為に、生産性向上や特産品の創出にエネルギーが行かなかったと思っています。
その上に気候もよいので、子供でも朝起きれば、貝をバケツ一杯拾える豊かな海です。
頑張って蓄える必要がなかった結果、勤勉の美風?も育たず、近世以前の国民性のままで、幕末まで来たのではないかと思っています。
また、政治状況で考えても、長州などのように、懸命に頑張らねば、立ち行かないような境遇でもありませんでした。(直轄地なので逆に優遇されていました。)
なにしろ、利根川洪水対策だけでも、幕府は、3回も大金を出して工事をしていますし、その他印旛沼干拓など国策プロジェクトが次々です。
今でも、よその県では、工場誘致などで必死になって(その結果嫌忌施設の原発がくる程度です)いると言うのに、成田空港反対などと言いながら、政府からいくらでもお金が出てくる不思議な県です。
私が10年程前に住んでいた、千葉市都賀駅付近の大きな陸橋まで、空港対策とかで国のお金で作ったらしいですから驚きです。
よその県なら、いろんな特典(金を出しても)をつけても、国際空港は来て欲しいものではないでしょうか?
こうして、江戸時代250年間の間、千葉人は苦労する必要もないので勤勉革命にさらされないまま、近代以前の精神状況で停まっていた可能性があるのです。
他地域では、この間生産量が2倍以上に上がっているのに、千葉に限っては殆ど上がらなかったと言う事実があります。
川勝先生の海洋史観・鎖国で日本は勤勉になったということに対する、私の以上の疑問は、専門の学者のように、地道な資料分析を伴わない思い付きの立論ですので、勿論根拠がありません。
鎖国によって進んだといわれる勤勉化は、日本の地域で分けると、どこからどこまで、或いは、幕藩体制下で、天領と親藩、譜代、外様、上士と下士、(今でも公務員は働かないと言われますが、高級官僚は、ものすごく働いてますよ・・・このように分類して考える必要があるのです)商人、職人、農民漁民等に分けた場合、どの分野でどうだったのかを知りたいものです。
昭和42〜3年ころ、朝日新聞に大仏次郎氏の「天皇の世紀」という長期連載があって、歴史が具体的に記述されているのに驚いたものです。
その後の歴史書は、急速に具体的になってきましたが、大仏氏の功績が大きかったのではないでしょうか。
或いは学問がすべて、そういう時代にさしかかっていたのかもしれませんね。
そこには、いろいろなことが描かれていましたが、長州征伐に出兵し、大阪に駐屯していた幕府御家人の駐屯生活を描いていた部分がありますが、、朝湯を楽しんだりの自堕落な生活で、とても戦えるようなものではなかった様子が描かれていたのを思い出します。


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