12/06/03

千葉の歴史4(千葉県人と海洋史観1)

12月2日の「豊かな自然と千葉の歴史2」のコラムで書いたとおり、開拓民が入った後の今でも、いくらでも雑木林が残っていますし、こうした膨大な空間があるからこそ、前記のとおり御料牧場を中心にして、広大な土地を必要とする成田空港を計画する余地が有ったのです。
文字とおり「余地」余った土地ですよ。
日本中に、海岸線の埋め立て以外に、いまどき内陸のほぼ平らな地域に大型ジェット機の離着陸できる、広大な空港を新設できる土地のある県がどこにあるでしょうか?
ところで、千葉人は怠け者だといわれることがありますが、前回までのコラムで紹介したように外形から見ると、何でそんなに開拓しないで残しているの?と言うことになりますが、土地の条件が悪かっただけで「そんなに怠け者ではないですよ」とも言えるのです。
そうは言っても、土地の状態が悪かっただけなのかどうか、本当に怠け者でないのかどうかは、怪しいところもあります。
また、川勝平太という学者の提唱している、「海洋史観」によれば、東南アジアからの海洋圧力に対し、わが国は、鎖国をすることによって、世界で稀な土地の生産性を上げ、勤勉な国民性を作り上げて、レスポンスした。
これに対して産業革命で対抗したのが、西洋という図式を主張されています。(いずれも共通項は、勤勉性)
その前の日本人は、決して勤勉ではなかったと言われており、日本人の勤勉性は、先天的なものではなく、江戸時代に鎖国によって、拡張が出来なくなった分、土地の生産性を上げる為に勤勉になっただけであると言う訳です。
私は、江戸時代以前の日本人に会ったことがありませんが、そう言われて見ると、それまでは結構怠け者だったという点は、納得します。
「元始 女性は太陽であった」という言葉がありますが、これに倣えば、「元始、人は怠け者であった』ということになるのでしょうか?
ライオンでもなんでも、さしあたりおなかが一杯になれば、それ以上働かないのは天然の原理です。
飽くなき勤勉性というのは、蓄積・貨幣経済・資本主義に目覚めてこそ、始まるものでしょう。
貨幣に換えるからこそ、際限のない蓄積が可能なのであって、(そうでなければ、独り占めしても腐ってしまいます)際限のない慾も生まれると言えますね。
川勝先生は、東南アジアからの圧力に対して、わが国は鎖国で対抗して勤勉性の磨きをかけたと主張されています。
しかし江戸時代の農村でも祭りや行事が多くて、年間100日近く休んでいたらしいですから、そんなに働いていた訳ではありませんし、御城勤めの侍も、お昼には帰ってきたようですから、どっちもどっちだったようにも聞いています。
本当に江戸時代、鎖国してからの日本は(東国に至るまで、或いはあらゆる階層に至るまで)、そんなにまじめになったのでしょうか?
私ごときが、思いつきで、一世を風靡している大学者、川勝先生を冷やかすのも考え物ですが、どんな大先生の考えであろうと、疑問をもつのが私の癖ですので、次回にもう少し考えてみましょう。




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