12/01/03
身近な行楽2(豊かな自然と千葉の歴史1)
地方の人にとっては、都心部のホテルに泊まって、ゆっくりお洒落なお店でショッピングしたり、有名な美術館めぐりや、お芝居見物をするのもいいでしょう。
もちろん若い人たちにとっては、安宿に泊まって、新宿、池袋、渋谷などで夜遅くまで遊びまわるのもいい経験になると思います。
高齢化社会になって、休息の為の旅が主流となりますと、できるだけ近場(疲れない)が良くなってきます。
こうして人口の多い首都圏や、近畿圏付近の観光地は、大賑わいとなってきます。
私の住む千葉県は、全国区的な観光名所が少ないのと、これまで、観光産業に県民の関心がなかったこともあって、観光地の整備については、イラン人が怒っていたように全国で最も遅れた県と言っても良いかもしれません。
地図を見れば、全部緑で塗られているように、山らしい山もなく、全体的に平地や丘陵ですから、昔から、生活が楽でしたから、県民性は、よく言えばのんびりした気風ですし、別の角度から見れば、やる気があまりないのが特徴です。
関西のように毎年台風が来るわけでもなく、(来ても余波程度で大したことはありません)大きな川もないので、(実は利根川は、千葉県民には、余り関係ないばかりか、霞ヶ浦という巨大な遊水機能があるせいか氾濫したことはないですね。)
自然環境が良いので、努力するガッツの気風が育たないまま、縄文時代から、終戦時まで来たようです。
何しろ、江戸時代250年間に殆どの地域では、刻苦勉励して、特産品を作ったり、生産性が2倍以上に上がったのに対し、「千葉だけは殆ど変わらなかった」と言われているのですから驚異的です。
千葉の海が埋め立てられて、今の団地群や工場地帯が出来たのは、昭和30年代からですし、現に私が昭和35〜6年ころ東京から、千葉まで車で来たときには、今の稲毛の浅間神社に連なる崖、雑木林は、海との境で、がけ下を片側一車線の道路が走っていて、ずっと遠くで車がエンスト(その当時は、車と言うのはしょっちゅうエンストしたものです。)していて、も追い越せなくて、延々と並んだ経験があります。
その右側(即ち東京から向かってと言う意味です)は1〜2メートルほど下が砂浜で、海岸線が何キロも(大げさかな?)先にあるのです。
潮が満ちてくると、その国道まで海水が迫ってくるらしく、国道に沿って、板囲いの四角い下駄履きの小屋があって、アサリなどを売っているのです。
こうした遠浅の海というよりもまっ平らな砂浜でしたので、現在55〜56歳の人に聞くと、その人達が子供のころは、朝起きてバケツ1杯持って出れば、小学生でも、朝飯前にブリキのバケツ1杯は、貝を拾ってこられたと言いいます。
千葉では、戦後の大規模な埋め立てがあるまでは、温暖ですし、縄文時代とほぼ同じ生活で成り立っていたのです。
こうして、自然災害から身を守ることもなく、(大きな山もないので大きな獣も見かけません)食料の苦労もないまま、高度成長期までのんびりやってきたのが千葉県民です。
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