12/23/02
法律行為2(民法26)
一定の意思表示に対して、一定の法律上の効果が何故発生するのでしょうか?
カント哲学などに代表されるように、ヨーロッパ近代思想では、自由な意思を持ち、自己の行為がもたらす結果に対して、合理的に判断を(哲学者はもっと難しく『思惟』と言います。)して行動する人格者が想定されました。
『人格者が道理をわきまえて行為した以上は、その齎した結果を受け入れるべきだ』と言う論理で近代法(刑法も含めて)が制定されているのですが、このような人格者を前提とする考え方・思想によれば、幼児の外、教養と財産のある人でも、精神の疾患など特別な事情によって、合理的な判断が出来ない場合には、こういう人が意思表示らしい事をしても、法律効果の生じる意思表示と認められないと言う事になります。
たとえば、3歳の子供が物をあげると言ったとしても、そもそも法律効果が生じる意思表示とはなりません。
これと同じように、教養があっても、精神病になってしまった狂人が何かを話して、その中にたまたま『お金を払う』と言う言葉があったとしても、何の法律効果も生じないと言う結論になるのです。
刑法でも、同じ考え方で、出来上がっています。
精神障害者による凶悪事件が発生しても処罰の対象になりませんので、社会問題になっている事は12月 日のコラム(民法20)で触れたとおりです。
我国の江戸時代でも、浅野内匠守の殿中刃傷事件(忠臣蔵)で、大目付けの多門伝八郎が『乱心致したか』と救済の為に質問するくだりがありますが、乱心の結果の所業であれば責任を問わないシステムであった様です。八百屋お七の事件(振袖火事)でも同様の質問があった様ですが、お七は、本当の事を話した為に逃れられなかったと言われています。
このように法律行為の中核たる意思表示と認められる為には、一定の能力を持って意思表示する必要があり、その能力がない人を『意思無能力者』と言います。
意思無能力者の行為は法律行為と認められず、何の法的結果も生じません。
赤ちゃんがアイスクリーム欲しいと言っても売買契約が成立しないと言えば分かりやすいと思いますが、同じ事を難しく言ってるだけです。
では、4歳の子供は意思能力があるのか、5歳、10歳、15歳、18歳となるとその境界ははっきりしませんね、また精神障害者も、時々快方に向かって、精神病院から退院している事は良く知られているように、時には普通に戻っている事が結構あるのです。
痴呆老人も、人の識別が全く出来ない重症の人から、まだら惚けまで、その段階はいろいろです。
そこで、どの程度の能力があれば法的効果の生ずる意思表示と言えるかの規準が必要となります。
その程度については、『事理弁識能力』が有るかないかであると言われています。
事理とは何でしょう?物事の理(ことわり)というのですから、物事の道理が分かる能力とも言えますが、こういう言葉をいくら置き換えても同義反復、同じ事の繰り返しとなるばかりですので、定義としては、この程度で分ったつもりになるしかないですね。
この能力がある状態で、意思表示をすれば法律行為となり、法的効果が生じてくるのが民法の原則です。(いろいろな例外があります)
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
