12/13/02

行為無能力とは(民法20)

平成14年12月7日(民法18)のコラムで述べたように、権利主体者の中には、赤ちゃんや、精薄児、痴呆老人等等自分で財産を管理処分する能力のない人が居ます。
こういう人が何をしても有効としますと、自分の財産を守れなくて財産を失ってしまいます。
そこで、民法は第3条以下に無能力者の制度を置いて、そう言う弱者の財産保護をする仕組みを作っています。
20歳までは未成年と言って無能力者とされて不利益を受けるような印象ですが、法律家の発想は、能力のない人が不利な契約などをして財産を失わないように保護する為の制度だと考えているのです。
非行少年が少年院にはいりたくないのに、裁判所や、弁護士が、『少年院は少年を虐める所ではなくて、少年の立ち直りや、改善の援助の為の施設だから、何もそんなにいやがる必要がない』と言って説得しているのに似ていますね。
でも、次に述べる成年被後見人の制度になってくると、この論理は破綻するように思いますよ。
成年被後見人は、その殆どが死ぬまで能力者に復帰する可能性のない人です。
重度の老人性痴呆や、精神分裂病の人で死ぬまで社会復帰の見込めない人ばかりであると言っても過言ではないでしょう。(軽い場合は裁判所に申し立てまでしません)
この人たちの財産管理と言っても、本人が死ぬまでに復活して自分で自由に使う可能性がゼロに近いのですから、(こういうと、いや神様でないのだから90歳の痴呆老人がある日突然正気に戻らないと誰が言えるんだ?という役人的形式論で迫ってくる人がいますが、私はこういう人は苦手ですので、このコラムの読者に想定していませんのでアシカラズ)実際上は、将来の遺族の為に保全しているに過ぎないのです。
今まで私が就任している後見事件は、年金収入だけで入院費用その他をまかな?少し余る事例ばかりですから、(資産家すなわち経営者は、かなりの年金に加入していますので)痴呆老人自体の立ち場で言えば、何億円と言う不動産がなくなろうが死ぬまでそのまま残ろうが実際上何にも感じないし不都合もありません。
更に言えば、戦後『両性の本質的平等』が民法第1条の2で宣言されるのと同時に、削除された民法第14条から18条までの『妻の無能力』を定めた規定の存在を無視出来ません。
戦前、妻の無能力制度が、禁治産制度の次に置かれていた事を考えると、無能力制度は、妻や精神病者(今では痴呆が中心的関心ですが)、痴呆老人の個人に着目して、その保護を図る制度と言うよりも、『家の財産を守る』思想が濃く残っている制度と言わざるを得ません。
刑務所や少年院も同じで、矯正の施設だと美辞麗句を並べても、少年や服役者は実際を良く知っていますよ。
まして、つい最近発覚した名古屋刑務所の看守による虐待死事件を見れば、『貴方の為に良くしてやろうとしてわざわざ、税金で教育してくれるんだよ、』と言っても空々しいですよ。
民法の本音が家の財産確保にあるように、監獄を矯正施設と読み替えても、その本質は、社会の安全を守る事にあるといえるでしょう。
とりわけ最近頻発した精神障害者による重大事件に対して、医療よりも裁判所の関与で、その処遇を決定しようとする法案がこの国会にかかっていると思いますが、この考え方はまさに矯正や、治療よりも社会防衛思想ががむき出しになった考え方です。(真実、治すのが目的ならば医師に一任・・無制限な一任を言うのではなく、精神障害者に対する治療が、どうあるべきかを、議論するのが本筋であると言う意味です。・・して置けばよいはずです。)




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