12/12/02
権利の濫用(民法19)
権限濫用の説明をしましたので、良く似た言葉である権利の濫用について説明しておきましょう。
ある人や組織が持っている権能の一部を、その下位の人に分与し、叉はされた場合に○○に権限を付与する、叉は○○に権限があると言います。
付与者の有する権利の一部に限定されていると言う意味で権『限』と言います。従って権限の濫用になるか否かは、付与された権限の解釈によって定まります。
これに対して、権利の濫用という言葉は、権利の範囲を越えた場合ではありません。
権利の範囲自体概念的にとても難しいのですが、実は権利の範囲内であっても、行使の仕方、引き起こす結果によっては、権利の濫用になると言うのです。
お分かり戴けたでしょうか?かなり難しい言葉ですので、民法の説明が進んでからにしょうと考えていたのですが、たまたま、似た言葉を使ったのでこの機会に少し触れておきましょう。
明治31年施行の現民法は、これまで書いて来ましたように、第1条に
『私権ノ享有ハ、出生ニ始ル』
と言う文言で始っていましたが、戦後、国民主権・基本的人権が高らかに謳われた現憲法の制定が必至(かなり抵抗した様ですが、GHQに押し切られた経過は憲法制定の歴史に詳しく書れているとおりです。)の情勢となってくると、当時の支配層は、何とか、実質空洞化を図ろうとして、(現在の抵抗勢力に似ていますね)歴史ある民法第1条を次のように改変しました。(昭和22年方222)
第1条 @私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
A権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
B権利ノ濫用ハ之ヲ許サズ
第1条の2 本法ハ、個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スベシ
第1条の3 私権ノ享有ハ出生ニ始ル
『一定の教養のある人格者ならいざ知らず、国民等しく平等に基本的人権が認められ、誰もが選挙権があるなんて大変な事だ、権利、権利と言う前に権利行使には自づから制約がある事を、権利を定めた条文の前に書いておくべきだと言う支配層の危機感が、ひしひしと伝わって来ますね。
私達が育った戦後期は、何かと言うと『今の若い者は権利主張ばかり強くて』と非難されながら育ったものですが、この条文に支配層の抵抗が凝縮されていたのでしょう。
今日のテーマは権利の濫用ですが、民法上の解釈として、この条文ができる前から判例学説上、外形上権利行使であっても濫用に亘るときは、之の行使が認められないと言う考え方は定着していました。
信玄公旗掛け事件、宇奈月温泉権事件などが戦前の判例として有名です。
どう言う場合に権利の濫用になるかと言う説明は、個々の事例を紹介しなければ分かり難いので、もっと民法の解説が進んだ段階で機会があればする事にしましょう。
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