12/05/02

法家の思想

諸子百家の名家の思想を紹介したついでに、私達法律家に、関係のありそうな法家についても少し触れておきましょう。
中国の紀元前の事ですが戦国の7雄の一つに、韓と言う国があったのを御存じの方も多いでしょう。
この国は、一時覇を唱えた大国晉が分裂して韓と魏、趙の三ッつに分裂して出来た国です。
我が国の信長の跡目が、秀吉、柴田勝家、信孝の三勢力に成ったのと似ていますね。
中国の歴史を、この分裂前を春秋時代、分裂後を戦国時代と分けて考える様(いくつかの説があります)ですからとても大変な事件でした。
ついでに書きますと、日本では豊臣秀吉による備中高松城の水攻めが有名ですが、これは秀吉のアイデアではなく、既におよそ1800年も前に韓、魏、趙3国の主導権あらそいの城攻めに際し、大規模にやった歴史がありますよ。
その韓の公子・韓非子と言う思想家は、法家と言う一派の代表的な思想家と言われています。
その後天下を統一した秦の始皇帝は、これを採用して、その基礎を固めたのですから、韓非子は、諸子百家の掉尾を飾った・総完成者と言えるかも知れません。
私達法律家の先祖みたいなものかな?と言えない事もありませんが、私達実務家の先祖と言うよりは、思想家の先祖と理解していただければ良いでしょう。
法家と言うのは、国家統治は法で行うべしと言う思想家の事で、法律の運用をする実務家を言うのではありませんでした。(当時は思想家として主張するのがやっとで、運用するほど法そのものがなかったでしょう。)
私達法律家も、法治国家が良いもの、と言う前提で仕事をしていますが、実務の運用が主であって思想家(そんな偉い人ではありません。)ではありません。
長い春秋戦国時代(紀元前770年から紀元前221年までですから、日本の戦国時代とは桁違いに長かった事が分かるでしょう。)を経て、やっと天下を統一した秦の始皇帝は、厳しい法を定めて、びしびしとやった事でも知られていますが、(日本でも戦国時代を統一した信長は厳しかったですよ)、項羽と覇を競って漢帝国を創始した劉邦が、統治の最初にとった政策は、有名な『法3章のみ』と言われる簡明な統治方針の宣言でした。秦時代の苛烈な法の適用に国民がうんざりしていたのを知っていたからです。
これに対して天下が長年に亘って乱れた3国(志)時代に、蜀を建国した功臣であり軍師として有名な諸葛亮孔明が最初に採用したのは、厳しい法の適用でした。
その前の蜀の大守の統治は、緩み切っていた問題点があったからと言われています。
法の運用を厳しくしたり、簡素にするのは、その時代状況によって、考える必要がある事を歴史が示していると言えるでしょう。
(信長の厳しい性格を言われていますが、歴史の必然だったとも言えるのです。)
現在我が国の税法は、細かすぎるのが難点と言われていますが、(証券取引税などややこしすぎると言うのが大半ではないでしょうか?)簡素化法みたいなものが必要な時代が来ているのかも知れません。




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