11/29/07

農地開放政策の意義2(地方の疲弊2)

前回書いたように、地産地消・・生まれ育った子供が100%親の後を継いで生育地にとどまる社会・・江戸時代は原則とし1男T女でしたから、そうでした。
ところが子沢山社会になると、成長した後は、地元にとどまることは職場がないのですから、許されません。
庶民は、成人すれば、男子は労働者として、女子は女工さんとして、都会に送り出せば良いのですが、子育て費用分だけマイナスになって残るのです。
長男だけが家督相続して良い思いをしたといっても、多くの子供を育てて学校へやって疲弊してしまった家計を引き継ぐだけですから、全部相続したのだからイザと言うときに弟妹の面倒を見ろといわれても、元々余裕がなかったのです。
これでは、中堅が下層に、下層が最下層に転落するなど順次農民の生活が苦しくなるのは当然です。
その結果・・企業的農業化に基づく労使関係ではなく、江戸時代よりも状況の悪い・・不健康な前近代の地主小作関係を創設してしまっただけですから、明治以降の農業政策は、大失敗だったのです。
明治政府の中心的関心は、欧米先進国にキャッチアップするための近代工業化に向けられていて、近代工業社会に参入することのために(労働者や兵士の供給源として)農業を考える傾向があって、農業のための農業をまともに考えていなかったからでしょう。
農業の将来を真面目に考える役人も学者もいたでしょうが、ここでは、政府全体の傾向を書いているのです。
こうして中堅農家の没落が進んだことについては、04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」のコラムで、新潟の北方博物館と言う大地主の屋敷を見学した時の感想でも書きました。
満州進出も第二次世界大戦も煎じ詰めれば、明治政府の農業政策+人口政策の失敗が原因だったと言うべきでしょう。
人口政策の失敗が第二次世界大戦の元凶であるとする私の意見については、11/11/06「人口政策と第2次大戦6(親方日の丸の無責任体制2)」前後で連載しました。
私の意見でも、第二次大戦終結時には農村の近代化・・改変・・国際競争力の強化が必須だったのですが、そのために農地解放による農地保有の細分化政策が合理的だったかどうかは別問題です。
一足飛びの大規模化は無理だとして、一旦地主小作関係から開放して、それから近代農業化という道筋が必要だったのかもしれませんし、この点は農業政策の専門家の意見をきかねばわかりません。 
GHQの占領政策は、農村を初めとする日本の民主化促進の理念?に基づいて、実行されて来たと教えられてきました。



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