11/26/07
農地開放政策の意義1(徳政令)
何しろ、明治政府の政策は、農民を農地から引き剥がして、炭鉱や製鉄所など都市労働者の供給源とすることにあったのですから、都市住民の生活基盤の保護には前向きでしたが、農民の土地利用権保護には冷淡であったのは当然です。
戦後になると、自作農創設措置法で農地解放〜農地法が制定されて土地利用者の保護に努めるようになってきたのです。
戦後の農地解放政策は、明治以降、零細農民・・社会的不適合者が貨幣経済についていけずに、地主からお金を借りたりしている内に徐々に土地所有権を失い、小作人化していた零細農民に対して、もう一度土地所有権を回復したのですから、一種の徳政令でした。
江戸時代にも何回も、徳政令に代る棄捐令を出していますが、単なる棒引きのことだとイメージしている方が多いと思いますが、実は、何も財産のない人の棒引きは大して意味がないのであって、実は、担保に取られた農地・・領地などの回復策が目的だったのです。
江戸時代までは、明治以降の都市労働者送り込み促進策とは逆に、むしろ農村から都市への集中を阻止することが政治の大きな目的の時代でしたから、土地売買や、担保取得(質流れ)を繰り返し禁止したり、農民の流民化阻止に躍起だったのです。
江戸時代の農地政策については、03/31/04「男の沽券(沽券)面子とは?2(農地売買の禁止)」等で紹介してきました。
ところで、棄捐令は、札差に対するもので、旗本御家人の救済目的でしたが、その代わり次から貸してくれなくなって、かえって旗本・御家人は困ってしまったと言われます。
現在の貸金業法の厳格改正で、(グレーゾーン金利禁止)貸し金業者から締め出される階層の出現が、問題視されているのも同じ次元の問題です。
ところで、札差しの棒引きとは、領地自体の担保ではなく、その上がりである米の売り上げ収入を担保に取られていたのです。
鎌倉時代と違って、経済活動の技術・流通システムが発達してきて、領地自体を担保に取る必要がなくなっていたのです。
今で言えば、金貸しの医療法人などに対する貸し金の担保として流行している診療報酬債権の譲渡に類する行為を、今度から無効にすると宣言することと同じでしょう。
(経営権を担保にとる・・ヤクザが乗っ取る必要がないのです。)
鎌倉時代に始まる徳政令も、農民や庶民の借金棒引きというだけの後ろ向きの救済目的というよりは、御家人の救済(質流れの禁止・領地回復)が目的であったことは良く知られているところです。
借金をなくすだけ・・あるいは担保権行使を停止させる程度の徳政令ならば、社会組織の巻き戻しにはならない・社会不安・・・・極端に進めば革命的変革による前進があるのですが・・・これを緩める効果があるだけでしょう。
また少しくらい巻き戻しになっても、間接的影響にとどまる・・・・弱者の地位向上への自助努力を求める・・鎌倉前後から武家政権に対抗して朝廷で発達した「徳政」「仁政」がそうでした。
現在の破産・再生の励行政策や、高利貸に対する不当利得返還訴訟の奨励政策も、一種の徳政令・棄捐令ですが、社会底辺層の不満のガス抜きと自殺防止・・やる気の再生になっているだけである点で機能が違うのです。
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