11/20/07
通信の秘密5(郵便電信の国家独占1)
信書と郵便の関係はどうなっているのでしょう?
わが国でも、昔から中央から地方へ地方から中央への公文書(木簡竹簡)の往復は存在しますが、これらを「信書」とは言わなかったでしょう。
通信制度は、ローマ時代から、あるいは周の時代から軍事的必要から駅逓制度が発達し、これが順次発展を遂げて、民営の郵便制度が平行して始まりましたが、西洋では1800年代に殆どの国で国・公営以外は禁止されるようになってしまいました。
わが国では、明治の郵便制度開始まではご存知のように、国・公営がなく、飛脚・民営が中心の世界でも稀な国でした。
(諸外国、例えばイギリスではキングズメールなど国・官営が中心でしたが、これに民営も付随して始まったものですが、絶対王制下で民営が禁止されるようになったものです。)
通信を「信書」の秘密というのは、わが国では王朝時代から、恋文を届ける方法として盛行した個人的利用・・私信である「付け文」が、信書の始まり?だったからではないでしょうか?
西洋では大学や王家の公的文書の通信制度に個人の文書もついでに便乗する・・・もしかしたら現在用語でもある「便乗」の語源かもしれません・・・形式から、民間の通信が始まったのですが、わが国は幕府権力の弱さもあって、公営の駅逓制度(中国では唐の時代に完備したそうですが・・・)が発達せず、民営の飛脚だけであったのは、世界史的に見てもまれなことではないでしょうか?
(忠臣蔵の事件も自前の早馬で走りぬいたのです。)
通信文書の中で、私信・・とりわけ恋文は最もプライバシー性の高いものでしょうし、公文書にはそうした性質がなく、(プライバシー性はないが秘密にしたいことは多いでしょう。)この中間に企業・組織間の文書連絡があって、ダイレクトメールやカタログ通信等がその端っこに来るのでしょう。
ただし、美濃部達吉の憲法では、先行したベルギー憲法やドイツ憲法の文言との比較から、「信書の秘密」ではなく、「郵便電信の秘密」と読むべきだという解説があるようですが、これは諸外国の事例を前提にし、かつその後に発達したわが国の通信実態に即して解釈したものでしょう。
しかし、明治憲法で「信書の秘密」としたのは、以上に書いたようにわが国では、個人の私信・・信書から発達し、さらに第三者に信書を委ねる時代が来ても、民営の飛脚が中心で官営・公営が発達していないまま明治になった歴史があるので、憲法制定時には、まだ私信が中心の社会だったからでしょう。
大名家や将軍家では、業者に任せずに自前の使いが信書を持って往復(今の出張です)していたのです。
忠臣蔵の早馬ですが、これを業者に委ねていれば、今の駅伝システムですから、同じ人間が走らずに済むので、もっと速かったでしょう。
大名家や将軍家・公儀では、飛脚を信用していなかったので、重要情報の伝達は自前の使者に頼ったていたのです。
このようにわが国では、客観的な通信の歴史も実態もなかったので、明治憲法では、私信を意味する信書と翻訳したのは正しかったのでしょう。
信書の秘密は人権保障に関係があるとしても、元はといえば、私信ですから、営業上もプライバシー保護は絶対必須ですし、郵便制度の整備によって今後公的通信も郵便制度に委ねようとする以上は、政府の秘密を守るためにも「信書の秘密」を守ることは政府にとっても必須条件だったのでしょう。
現に明治憲法で保障された「信書の秘密」は、思想・信条等の自由を保障することとは関係なく・・・逆に内務省による検閲を除き、郵便吏員による盗み見を厳禁することが本質でした。
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