11/28/06

ポツダム宣言の無条件受諾と無条件降伏1

ところで、これまでの普通の戦争終結は、敗戦処理について協議して条件が折り合ったところで終結するものですが、日独の場合は、無条件降伏でしたから、占領軍に何をされても文句言えない立場でした。
言うならば、鬼畜米英と言って怖がらせていた敵国の前に、保護すべき国民を丸裸で放り出した無責任な状態でした。
国民の不安は極限状態にあったと言うべきでしょう。
現在では、日本が無条件降伏したのか否かについて論争があるようですが、当時の政府は、以下の吉田総理の国会発言どおり無条件降伏を認めていたと言うよりも、これを主張していたのです。
(日本政府としては、仮にポツダム宣言に違反する行為が占領軍にあっても、違反だと主張すら出来ないと言う立場でした。)
これが国内政治の難しいところを切り抜けるために利用される「外圧」利用の前身かも知れません。
ところが、独立(サンフランス平和条約締結)後は、教科書検定で、徐々に無条件降伏と言う文言の縮小を求め始め、ついに1960年以降「無条件降伏」と言う文言を完全に歴史教育の現場から抹消してしまったと言われています。
それまでは、何があっても直ぐに
    「無条件降伏したのだから、仕方ない」
式の会話が普通でしたが、(マッカーサーと言えば泣く子も黙る時代でした)以後の教育を受けた若い人は、「無条件降伏」という言葉自体あまり聞いたことがないかも知れません。
先ず吉田茂の政府答弁を紹介しましょう。

昭和24年11月26日 衆議院予算委員会
○吉田国務大臣(内閣総理大臣 吉田茂君) 
・・・またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希望に反した条約、協定は結局行われないことになりますから、好意を持つておる連合国としては、日本国民の希望は十分取入れたものを条約の内容としてつくるだろう、こう思うのであります。
昭和26年10月24日 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会
○西村政府委員(外務事務官 條約局長 西村熊雄君)
 日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の條件を無條件で受けて終戦いたしたのであります。無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件をつけずして降伏したという意味であります。その当時、政府、大本営連合会議においてポツダム宣言に対して種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、佐竹委員よく御存じのことだと思います。ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張しておりました情勢から考えまして、日本全体といたしましては、何ら條件を付さないで、先方の提示した條件を受けたのであります。それが無條件降伏をしたという意味でございます。むろん先方が提示したポツダム宣言の中には條件がございます。その條件の一として、日本の領土の範囲は連合国できめるという一項がございます。その條項に従つて、連合国が日本の領土について最終的な決定を与えるまで、日本といたしましては、あらゆる角度から日本の要請、国民感情その他が連合国によつて考慮に入れられるよう努力いたすことは当然でございますし、また政府といたしましては、十分その責務を盡したと存じております。しかしその結果、平和條約におきまして、連合国が最終的決定をいたしました以上は、條件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、総理の考え方だと存じます。



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