11/28/06

先行き不安と少子化8(敗戦直後の心理1)

米軍の東京空襲のやり方は、一定の範囲の外周に先ず焼夷弾の雨を降らせて,外側に逃げられなくした上で、徐々に内部に輪を縮めて猛火に包んでいくやり方で、いわば皆殺し作戦です。
(たとえば、東京大空襲では、たった1夜だけで10万人に上る一般市民が焼死しましたが、勿論空襲は一回きりでは有りません。
私の生まれた家も、その何回かの空襲の結果、丸焼けになってしまい、家族中で命からがら逃げ回っていたのですから、恨みが残っているのです。
(私自身は幼なかったので何の記憶も有りませんが、兄たちからその逃げ回ったときの模様・・肉片の飛び散った死体の間をあちらに逃げ、こちらに逃げしたことを聞いて育ちましたが、まさに生き地獄です。)
このように、戦争の参加を聞いて育った世代の存在を考えれば、戦後60年経っても、中国人が戦争被害を主張するのを一概に非難できません。
さらに広島、長崎で極めつけの残虐な原子爆弾が、落とされていますし、沖縄、その他各地で多くの一般人が被害にあっています。
このような、鬼畜米英と教えられ、生き地獄を経験してきた後の、即時全面無条件降伏でした。
無条件降伏したら、これに輪をかけたどのような悲惨な事態が待っているか、戦々恐々としていたのが、多くの日本人の心理実態だったでしょう。
後に紹介しますが、終戦の詔勅で有名な「・・堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ・・」と言うのが国民全般の心理だったでしょう。
ポツダム宣言無条件受諾の終戦の詔勅も、悪い戦争であったことを認めて受諾するのではなく、正当な戦争であったが、敵が原子爆弾と言う超残虐な手段を使ったために、仕方なく受諾したと言うものでした。

(「加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」と言うくだりです。)

最後の最後まで、鬼畜米英・・敵の残虐性を強調して終わったのが、太平洋戦争でした。
「負けてホッとした」などと言う有名人の文書が圧倒的に多く紹介されていますが、そんなことは、後で言えることであって、敗戦直後には、そんなノー天気な人は滅多にいたはずがないのです。



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