11/23/06
殉死制度はあったのか?2(埴輪の意味)
そう言えば、私達は子供のころに、日本の埴輪とか、中国の兵馬ヨウなどを殉死の替わりに、土偶を収めたのだと習いましたが、これも嘘っぽいです。
乃木大将の殉死を美化するために、政府の巧妙な宣伝に歴史学者が協力していたのではないでしょうか。
壮大な地下宮殿や兵士の存在は、あの世に行っても、この世同様の生活があって、この世での生活道具や従者が必要と言う基本思想で、出来たものでしょう。
一緒に殉死してしまったのでは、あの世で役に立ちません。
馬や兵その他の道具類、生活必需品を、この世にあるままの姿で(馬は立っているし兵士も矛などもって立っています。死んで横たわっている姿では有りません。)土器にしておさめただけで、殉死とは関係がないでしょう。
たとえば、現在日本でも普通の人が死ぬと、棺桶に草鞋をおさめたり、硬貨を入れたりするのも同じ思想で、草鞋や硬貨が殉死する訳がないのです。
今の世相を映して、あの世で必要だと思われている物を入れているだけです。
こうした考えが、今は、常識ではないでしょうか?
こうしてみると、殉死思想や玉砕思想は、明治末ころから急激に広がった思想ではないかと思えます。
(いつものように、すべて私の思い付きですから、社会心理学者による分析を読んだ訳では有りません。)
このころから、日本はどうにもならない破局に向かっていたから、こうした思想が広がったのではないでしょうか?
この破局とは、我田引水すれば、11/05/06「人口政策と第2次大戦1(ねずみ講の元祖)」以降で連載した私のいう所の人口問題による破局です。
人口問題を解決しないまま倍倍式に増やしていけば、日本にいつか破局が待っていると言う予感があったのに、だれも、どうして良いかわからず、ずるずると多くの子供を産み続け、破局に向かう予兆の時代であったのではないでしょうか?
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
