11/22/06
玉砕の美学5(現実主義の細川家3)
その後細川家の対応を見ると、関が原では、細川忠興が東軍につくに際し、西軍の人質となっていたガラシャ夫人が、自殺していることでも有名です。
これは、忠興の命で自殺したらしいのですが、嫡男の忠隆の妻(前田家の娘)は無事に脱出しているのですから、元々自殺までする必要がなかったのです。
それでも、徳川の警戒が解けないと見ると、前田家の娘を嫁にしていた3代予定の世子忠隆を廃嫡・勘当して、3男の忠利を3代目にし、彼は、秀忠の養女を妻にしています。
この三男忠利が、阿部一族のテーマとなる死亡した主君です。
明治維新では、初めから薩長に組せず、日よっていましたが、勝敗が分かってくると、新政府に率先して協力して侯爵家となるなど、細川家は、いつも現実的選択を身上とする家柄です。
ついでにいいますと、明治以降も戦時中有名な近衛文麿首相(日米開戦直前)と細川家とは、姻族関係にあって、家柄・・血統重視時代の最後まで、中枢に食い込んできたのが、細川家です。
具体的には、現民主党党首の小沢氏などに担がれて10年ほど前に総理になった細川護煕元首相(1993〜1994)の父親が、近衛文麿の娘と婚姻し、その次男が近衛家の養子になっているので、現在では近衛家の現当主がおじさんになる関係です。
このように、長い歴史経過を見ると現実主義・・変わり身の巧さを身上とする細川家では、当然家臣団も現実的だったでしょうから、無意味な玉砕を選ぶ価値観が家中を支配していたとは、到底思えません。
森鴎外描く所の「阿部一族」の玉砕話しは、明治末の美学・・価値観に基づいて創作したに過ぎないのではないのでしょうか?
(文学作品は、創作するものですから、当たり前です。)
そもそも、いろんな歴史物語の主人公の心情や美学は、その作者の思想であって、当時そのような心情であったことの方が少ないのです。
02/17/05「時代考証と男女心理描写」のコラムで、過去の男女関係と言えば、明治に形作られたに過ぎない男女の理想形をモデルにして、義経と静御前や政子と頼朝を描いているのは、おかしいと書いたことがあります。
いろんな歴史もの・・・徳川家康であれ、秀吉であれ、細川であれ、主従のあり方や言葉づかいなどは、みんな現代の作家の思想で書いているだけです。
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