11/22/06

玉砕の美学4(現実主義の細川家2)

細川藤孝(幽斉)と光秀は、言うまでもなく足利幕府の権威回復を目指す立場で、思想・教養共に共通の同志・盟友であったのは、どの本でも書かれている歴史の常識と言えるでしょう。
現在、日経夕刊で連載中の「地の日天の海」の物語でも、これまで読んだところでは、概ね旧来の常識(先人が書いた信長像や秀吉像などをそのままなぞっている感じですから、たぶんその方向で、書き進むのでしょう。
・・・勿論,細かくは、作家の独自解釈があるのでしょうが、大筋はと言う意味です・・・。
(歴史の常識に異論が出るのは、面白いのですが、今のところと言う意味です。)
最近(森政権末期)では、いわゆるYKK・・・盟友であった加藤紘一から、決起について相談された小泉純一郎が、
   「俺ならやるね!」
と、けしかけておいて、いわゆる加藤の乱が起こると、ちゃっかりと主流派・・敵方について(亜kれは当時森派の事務総長でしたから、立場上当然です)戦い、加藤派を分裂させ加藤の芽をつぶしてしまったのです。
その結果と言うか自分の実力によるものですが、次の総理になった小泉さんの例もありますので、歴史は違った解釈も面白いのです。
秀吉が、光秀をけしかけておいて、これを叩き潰し、その後実力で勝家(小泉さんの場合には、橋本元総理)に勝ったのとも似ています。
(秀吉が、光秀謀反の張本人説によればの話です)
それに加えて、細川藤孝の嫡男忠興の妻は、ガラシャ夫人ことお玉で、光秀の娘でした。
このように、光秀と運命共同体的な立場の彼・・細川藤孝でさえ、冷静に戦況を見定めて勝つ方に付くしかなかったのです。
(もしかしたら、将軍家や朝廷をないがしろにする信長に対する反感を、光秀に吹き込んだのは細川だったように思います。)
言うならば、光秀謀反のシンパ・・精神的支柱みたいな人物でも、イザとなれば現実的選択をするのです。
多くの家臣を抱えて責任のある大名としては、悲劇の主人公になる自分を想像して行動する訳には行きません。



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