11/21/06
玉砕の美学1(阿部一族)
農民一揆の場合には、彼らが本当に食えないのでは、領主も共倒れですから、何とかしなければならない社会的背景がありました。
また、領主側でももともと改革したいと思っていても、抵抗勢力のために出来ない場合も多いのですが、一揆のお蔭で、社会不正義が露呈するので、これをチャンスに領主側でも思い切った改革がを出来る便利な面もあったのです。
ですから、起こるべくして起こった農民一揆では、秩序維持のために首謀者が処刑されるとしても、それなりの解決が図られることが多いのです。
明治の旧士族の反乱場合には、騒いでみても何か新しいことがわかるわけでもなく、これからの社会の御荷物として、切り捨てられるしかない点は同じです。
その切捨て方を優しくして欲しいと言うだけですから、騒いでみても前向きの効果が望めません。
現在で言えば、賃上げ要求のストライキと異なり、国際競争に負けて立ち行かなくなった工場や炭鉱の閉鎖反対のスローガンで、工場・炭鉱を占拠しているようなもので、先行きの暗い争議です。
結局、明治の士族の反乱は、いずれも何ら得るところなく、単なる玉砕に終わったのは、故なしとしません。
玉砕と言えば・・・森鴎外作の「阿部一族」のような心理で、各地の士族は、止むにやまれず兵をあげたと言うべきでしょう。
(西郷隆盛が、やむにやまれず西南の役に組み込まれて行く課程として、描かれているのも似ています。)
義経・・判官びいきでもそうですが、悲劇の武将の末路は、みなそう言う筋立てです。
このように、わが国では、「玉砕の美学(悲劇の主人公として贔屓される傾向)」が、今でも連綿としてつながり、物語の筋として構成され、語り継がれているのですが、このようなことを美学として肯定する国民心理がいつころから生まれたのでしょうか?
この美学が太平洋戦争に繋がった面もありますので、いつころからこのような美学が発達したのか少し詳しく見て行きましょう。
ノモンハン事件の顛末を、11/16/06「棄民政策・・満州進出5(ノモンハン事件の教訓)」のコラムで、簡単に紹介しましたが、太平洋戦争は、始まる前からして勝ち目のないことが分かりきっていたものでした。
しかし、ABCD包囲ラインによってジリ貧しかないので、「1億火の玉」になっての玉砕を選んだものでした。
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